1.プロヴァンスに到着

2.いよいよプロヴァンスでの4週間の始まり

3. L'isle sur la Sorgue と Carpentras の日曜アンティーク・マーケット

4.アメリカ人の憧れ

5. Apt での落胆

6.Avignonでも落胆

7.日曜日なら何とかなると思っていた

8.AvignonとMontpellierのアンティーク・プロフェッショナル・マーケット

9.小規模ながらもArlesのマーケットは楽しめる。

10.せっかくはるばるやって来たのに

11.Lyon遠征記

12.FRENCH REVIERA(Cote d’Azur)遠征記

13.マーシャル夫妻がうらやましい

14.郵便局 - プロヴァンスのスロー・ライフ

15.アンティーク屋のアンティーク家

16.最後の日々

 

 

=はじめに=

 

『まりあさん!いつ頃から、あなたはアンティークに興味を持ってるの?』

『どんなきっかけで、アンティークに興味を持つようになったの?』などと皆さんによく聞かれますが、その答えはいたって簡単。

私は物心がついた時には、すでに古い物と戯れていたのです。子供が積み木で遊ぶように。砂場で砂遊びをするように。ですから、私にはきっかけなどありません。どこかで、何かを見てから、というような体験談もありません。

 

1950 年 12 月、私はトルコの東の端の小さな村の小さな家に生まれました。あの頃のことはあまりはっきりと覚えていませんが、でも生家はカントリーな家だったような記憶がうっすらと残っています。小学生の頃、私は長い夏休みをいつも田舎の祖母の家で過ごしましたが、私の遊び相手は兄弟姉妹でも、近所の子供たちでもありませんでした。祖母の家の地下室においてある古い物、祖母が長い間しまいこんで、忘れてしまったもの、先祖代々伝わるものなどが私の遊び相手でした。暑い夏、祖母は屋外の暑さとは全く縁のない、涼しい地下室に長いすを置き、その上にギリムを敷き、ギリムで作られたクッションを置いてのんびりとすごしていました。そして、祖母は私を見て、よくこう言ったものです。『お前はそんなことをずっとしていて、よく飽きないねえ!まだ小さいのに、そんなに古い物が好きなのかい?』

古い食器や雑貨や家具を並べては、並べ替え、並べては、並べ替え、飽きもせず昔の魂達と時間の経つのも忘れて遊んでいる孫を見て、祖母はどう思ったのでしょう?まさか、いつか日本でアンティーク・ショップを開くなどとは、夢にも思わなかったでしょう。

でも、振り返ってみると、その頃が今までの私の人生のなかで、一番たのしかった頃だったのではないでしょうか?

 

私は約 35 年前に日本に来ましたが、その当時から最近まで私は日本の普通の専業主婦と全く同じように家事と子育てに追われ、自分の時間もほとんどありませんでした。最近になってやっと本を読んだり、原稿を書いたりする時間ができるようになりました。そして、こんな時間を使って、アンティークは勿論のこと、体に良いお料理やお菓子作りのことを勉強するようになりました。

話は横道にそれますが、私はヴェジタリアンです。ですから、肉や魚はたべません。野菜もできるだけ生で食べるように心がけています。お料理にもいろいろな調味料は使わず、素材が持つ自然そのままの味を大事にしています。ケーキ作りにも精製糖を使いません。最近、良質の蜂蜜もとても高価になってしまったので使いません。そこで、私はレーズンや デーツ や干しイチジクなどの自然の甘さをケーキに使います。また、一日に必要な塩分は自然に野菜の中に含まれているので、塩もお料理に添加しません。酢、生姜、胡椒、唐辛子などで味をととのえます。穀類も精製したものは使わず、『玄』のものを使っています。今はバター(代わりにグレープ・シード・オイルやオリーブ・オイルを使います)も卵も使わないお菓子の研究をしています。いつかこのようなお料理やお菓子の本も書きたいと思っています。

 

さて、本題に入りましょう。

それは、私が物心がついてからこの歳になるまで、ずっと興味を持ち続けてきたアンティークのお話です。最初に、私が言うアンティークという言葉について、誤解がないように説明しておきましょう。アンティークといえば、まずイギリス調の黒に近い茶色の家具、金色の縁取りのある大きな鏡、ブロンズ像などなどゴージャスな感じのものを思い浮かべる方が多いと思いますが、私がいうアンティークとは、昔の貴族やお金持ち達に縁のない、庶民の生活で使われていた古い物のことです。きっと、私の生まれが貧しかったからと思いますが、そういう古い物に私は何かを感じるのです。たとえば、私がまだ生まれていなかった 80 年も、 100 年も、 150 年も、いえそれ以上も前のものでも、庶民の生活の匂いのするものに、私は心を奪われてしまうのです。私は、この本で、私とアンティークとのかかわりについて、そして、私と南仏・プロヴァンスでのアンティークとの出会いついて、雑談を交えながら書いてみます。 注 1 )

 

注 1 ) 『アンティーク(英: antique 、仏: antiquites )』の定義は、欧米各国においては 1934 年 に アメリカ合衆国 で制定された 通商関税法 に記された「製造された時点から 100 年を経過した手工芸品・工芸品・美術品」を指す。 100 年経っていないものは英語ではヴィンテージ (vintage −語源はフランス語の vendange で、もともと ワイン の製造年代の意味 ) といいます。フランス語のブロカント (brocante) には、元来『美しき古道具』という意味もあるようで、英語でいう vintage 、 junk 、 bric-a-brac あたりまでが、この単語に含まれると思います。フランス語の deballage や vide-grenier は、規模的に見るとふさわしくありませんが、 米語でいう garage sale, estate sale 、英語の car boot sale s でしょう。

ひとつ付け加えると、英語の flea market も、日本語の『 蚤 の市』も、 フランス語 の marche aux puces を訳したことばです。また、蛇足になりますが、日本で言うフリー・マーケット( free market )は悲しいかな、 flea の『l』と free の『r』を混同したからなのです。

アンティークやブロカントという言葉の意味合いは、各国語や各カテゴリーでオーバーラップしているところ、していないところがありますが、その言葉自体やその周辺に関し、大体の感じがお分かりになったと思います。

なお、石澤季里氏の『フランスの骨董市を行く!』(角川 one テーマ 21 , 19 頁〜 23 頁)にはカテゴリー別のフランスのアンティーク・マーケットの詳細が記述されているので、是非参考にしていただきたいと思います。また、本書はアンティーク、特にフランス・アンティークに興味のある方とっての必読・必帯書としてお薦めしておきます。

 

1.プロヴァンスに到着

成田を 21 時 55 分に出発する AF277 便はパリのシャルル・ド・ゴール空港(以後 CDG 空港と略す)に翌朝の 4 時 25 分(現地時間)到着する。この便は冬の間は全くの暗闇の中を飛び続ける真の夜間飛行便。機外の様子など気にせずにゆっくり眠ることができ、パリ到着が早朝で、到着当日がフルに使えるので、私はこの便が大好き。フランスに行く時にはこの便がお勧め。

CDG 空港に到着後 3 時間弱待って、 AF7660 便マルセイユ行午前 7 時 15 分発に乗り継ぐが、午前 5 時過ぎの空港には働く人がほとんどおらず、飛行機出発を待つ乗客もまばら、売店のシャッターは閉じた目蓋のように下りたままで、大空港はまだ熟睡中のように思える。しかし、午前 6 時頃になると、行き来する人の数も急に増えてくる。

午前 7 時近くになると、マルセイユ・プロヴァンス空港(以後 MRS 空港と略す)行きの AF7660 便の搭乗が開始される。私が乗った週末のこの便の搭乗率は 8 割くらいで、その中には週末をプロヴァンスでハイキングでもして過ごそうという軽装の乗客もチラホラ見受けられる。真冬の CDG 空港の外気の温度は摂氏 2 度、機窓から外を見るとアスファルトは乾いているように見えるものの、翼や窓ガラスには水滴がかなり付いており、雨が降ったばかりのように思える。そして、外は朝 7 時を過ぎたというのにまだ真っ暗。行き交う空港の作業車のヘッドライトとオレンジ色の空港の照明だけがはっきりと見える。定刻に CDG 空港を離陸した後、しばらくはまた夜間飛行が続く。東の空が白んできたのはなんと 8 時が過ぎてから。パリは東京より高緯度にあるので、冬の日の出は日本よりかなり遅く、夏に午後 11 時を過ぎても戸外で読書できることとは対照的だ。夜もすっかり明けて、快晴のマルセイユの MRS 空港に私は定刻午前 8 時 40 分降り立った。さすがプロヴァンス!やはりここはもう春だ!(と思ったのは早過ぎたのだが)。

さあ、着いたぞう!待望のプロヴァンスでの 4 週間。何が待っているやら、何を買うことができるやら、それを思うと私の心臓は『ヴァク、ヴァク!』。期待と不安が入り乱れてといいたいところだが、私の場合は期待だけ。というのも、私には彼女は最近プロヴァンスに小さな家を買ったわたしの親友のスミレちゃんがついているからだ。彼女はここで何が待っているか、何だ起こりそうか、大体判っている。ありがたい。私は今まで、アンティーク狩りの旅はアメリカ、イギリス、フランスでやってきたが、 4 週間長期滞在型のアンティーク狩りは初めて。プロヴァンス時間に合わせて、この 4 週間をゆっくり楽しんでみようと思っていた。

さて、ベルトコンベアのところで、成田でチェックインした荷物をピックアップする。まず、最初に出てきたのは、空っぽのように軽い、安物の大きな黒のスポーツバッグ。買い集めた割れ物を包むためのいわゆる『プチプチ』をぎっしりと詰め込んである。続いて、この 4 週間に必要なものを入れてきた、ほとんど新品同様の NIKE の赤のスポーツバッグも出てきた。ところが、このバッグについているはずの引き手用ハンドルが折れて、無くなっている。『さあ、文句を言いに行こう!』と Air France の事務所に行き、何かせかせかしている女性職員(今思い返してみると、今回の旅行中でセカセカ、イライラしているフランス人を見たのはこの人が最初で、最後ではなかっただろうか)に事情をスミレちゃんから説明してもらった。

『あっそ、じゃ、新しいスーツケースを差し上げます!』。

おお、さすが Air France と感激。 NIKE のバッグは日本に帰ったら修理に出して、新しいスーツケースもタダでもらえる!喜んでいると、その女性職員が事務所の奥から、新品の DELSEY のスーツケースを持ってきた。

『この NIKE のバッグいくらぐらいしたの?』

『 120 ユーロ位かな!』 注 2 )

『じゃ、これじゃまだちょっと小さいね』と云ってまた奥に消える。

そして、巨大な DELSEY のスーツケースを引っ張って出てきた。

『これ以上大きいのはないのよ!これで我慢して。』

『 O.K.! これでいいですよ。ありがとう、じゃあね!』といって外に出ようとすると『マダム!』、と彼女に呼び止められた。私の後ろには何か問題があった他の乗客が何人も待っている。彼女は汗をかき、他の乗客のことが気になってか、何だかもっとイライラして、私にこのように言った。

『マダム、今のスーツケースを持っていくなら。そのあなたの赤いバッグは置いてって。赤いバッグを持っていくなら、このスーツケースはあげないし、勿論、日本での修理代も出せないわよ!』

『なあんだ。そういうことか。』私の考えは甘かった。

この小さな私が取り扱いに困るほど大きな DELSEY のスーツケースに、 NIKE のバッグの中身を移し替え、 Air France の事務所をあとにした。バッグを壊したことに対して、何の陳謝の言葉も聞けず(彼女が壊したのではないから、それは当然かもしれないが)、それどころか新品の高価なスーツケースをあげたのだから感謝しろ、と言わんばかりの彼女の対応には驚いた。しかし、この巨大なスーツケースのありがたみは、帰国寸前になってわかるのだが、この時にそのことを知るよしもなかった。

 

壊れたバッグのおかげで、プロヴァンスの滞在時間が短くなってしまったなと思いながら、空港の外に出た。空港前の駐車場の一角にあるレンターカー Europcar の事務所にいき、日本からスミレちゃんがインターネットで予約しておいた車をピックアップにする。私が聞いたところによると、 Europcar のインターネット予約だと他社のレンターカーよりかなり格安に車が借りられるそうである。事実、今回も日本円で 8 万 8 千円ほどで 1 ヶ月 ( 基本的な保険は込み。但し、いろいろな状況を考慮して “ オール安心安全保険( Serenity Pack ) ” をかけたので 4 万円強の追加があったが、ブルー・メタリックの CITROEN C3 を借りることができた。駐車場行き、借りた車をチェックして見ると、ところどころにスクラッチがあったり、ヴァンパーの下のプラスティックの泥除け板がわれていたりしていたが、(ラジオのアンテナが無かったのも後になって気がついた)走行にはまったく問題はなかった。しかも、燃料はディーゼル。ガソリンの高いヨーロッパでは、その点も偶然ではあったが幸運であった。

注 2 ) 本書では為替レートを、1ユーロを160円で計算している。

 

2.いよいよプロヴァンスでの4週間の始まり


スミレちゃんは MRS 空港からプロヴァンスへの道をいろいろ知っている。さすがここの住人である。普通ならここから北プロヴァンスの Vauculse まで、ハイウェー A7 を使えば、 1 時間から1時間半位しかかからないが、道沿いのプロヴァンスの自然や村々を見ながら国道や県道を通り St. Remy de Provence を経由し、プロヴァンス気分でゆっくりと、最初の目的地である Chateaurenard のアンティーク・マーケットに向かった。今日は快晴、プロヴァンスの澄んだ青空が 360° 広がっている。

回りの景色はどこまでも限りなく続く平坦な沼地。この近くに Carmague 湿原 注 3 ) という広大な湿地帯があることは聞いていたが、ここはその最東端に当たるところと思われた。このなかを一直線に貫く車道の両側には、人の背の二倍もあるような葦の茂みが続いている。今は冬なので、葦の茂みはプロヴァンスの家々の壁の色のようなベージュに枯れている。しかし、春になって山々の雪が解け始め,沼地の流水量も増えて、緑が萌え出でる頃になると、ヨシキリをはじめ多くの野鳥たちがさえずり始めるだろう。次回はそんな季節にここを訪れたいと思った。

そこから更に北に進むと、車道の左側に並行して大きなオリーヴ園が何キロも続いていた。

こんなところでとれるオリーヴやオリーヴオイルは、オーガニックのものよりずっと安いだろうなどと勝手に考えた。遠くには大木がほとんどない岩山が連なっていた。ある人から聞いたのだが、古代ローマ人が植民地を探してヨーロッパ各地に侵略を開始する前は、ここもアルプスの北側のドイツの森のように大木がうっそうと茂る山々が連なっていたようだ。
しかし、彼らがやってきて、自分たちの木造船を作るために、ほとんどすべて大木を切り倒し、使い果たしてしまった。


勿論、当時は植林などという考えはさらさら無かった。そして、木々を失なってしまった南ヨーロッパ山々は、覆っていた土砂さえも長い長い年月の間に雨風で流し飛ばされ、現在のようなに大木がほとんどない、ゴツゴツした岩ばかりの禿山になってしまった、そうである。
このような風景の中に、今すぐに手に入れたくなるようなプロヴァンスの古い農家の集落が、ところどころにあった。

こんなところに、こんな素晴しい家を持っている農民がうらやましくかった。また、このような集落と集落をつないでいる道は、色といい、形といい、まるで大きな象の脚をさかさまにしたように見える太い幹のポプラの並木道になっている。葉が落ちた後、毎年細い枝が切り落とされているので象の脚そっくりだ。ポプラは成長が早いとはいえ、これだけ太くなるには何年ぐらい掛かるのだろう。

 

 

空港から 1 時間余りで Chateaurenard に到着した。しかし、ショーの会場( Salon de M.I.N.) を探すのが一苦労だ。マーケットの開催をポスターは所々に出ているものの、そのポスターの矢印が示す方向へ進んでも、アンティーク・マーケットに来た人の車がたくさん止まっている駐車場は全く見当たらない。テキスト ボックス:    Chateaurenard−こんなに閑散としたアンティーク・マーケットもあるのかと、妙な感心をした。  仕方なく、近くにあったパン屋に飛び込み尋ねてみると、突き当たったら左に曲がって直ぐ、と言われた。だが、その方向に行っても工場や倉庫とその前の運送業者の超大型トラックが止まれるような広大な駐車場が見えるだけ。

アンティーク・ディーラーが使っているような大型ヴァンはどこにも見えない。しかし、ここまで来たのだから、この駐車場を一回りして会場を探そうと、広い駐車場の無人の検問所を通り抜け、場内をゆっくり進んだが、行けども、行けどもアンティーク・マーケットの会場らしきものは見つからない。

ところが、広大な敷地内の片隅にある小さな体育館のような建物の前を通り過ぎた時、その建物の窓の中に見えるテーブルの上に anisette 注 4 ) の水差しやガラスのコップが見えた。あった!見つけたぞう!うれしくておもむろに車を降り、会場となっている建物の中へ。ところが、その中に見たものは、手持無沙汰に椅子を寄せ合っておしゃべり中のディーラー、一人で孤独に読書にふけるディーラー、携帯で長電話中のディーラーがいるだけ。

ディーラーの数は多くて 10 人程度。しかも、入場者は私たちだけ。こんなに閑散としたアンティーク・マーケットがフランスにもあるのかと、妙な感心をした。

しかし、せっかく来たのだか らと、一応会場内を一周して、濃い水色で金色の帯線が入った非常に良い状態のホウロウの 点滴器 (Irrigator) 注 5 ) を見つけた。何気なく、この中を見ると、なんとそこにはかつて使用されたであろうゴムホースと液量調節コックがはいっている。探せば何かあるもので、これは珍しいと、すぐに購入した。しかし、長旅の疲れも出てきたし、これ以上こんなにわびしいマーケットを見ている元気もなくなったので、急いで車に乗り込み、スミレちゃんの家に向かった。

彼女の最近手に入れた築 150 年くらいの小さな家は、そこから 30 分程の Pernes les Fontaines という町にあった。その日は午後になってもお天気は早春のぽかぽか陽気。これから先一か月、毎日こんな日が続くことを祈りながら、午後 2 時半に彼女の家に到着した。この家は 30 u強の離れのような一軒家。外観は典型的なプロヴァンス風だったが、家具や調度品はプロヴァンスの雰囲気にはちょっと掛け離れたものだ。彼女は、室内を見て浮かぬ顔をしている私を見て、「心配しないで!これから段々アンティークを揃えていくから」と言った。ここに到着して 1 時間たち、午後 3 時半を回ると、日がかげり、気温は急に下がってきた。さっきまでのポカポカ陽気はどこに行ってしまったのだろう思われるほどである。私はプロヴァンスといえば、いつもポカポカ陽気のところと思っていたが、それは大間違いであった。冬はやはり冬。寒い。シャワーを浴び終わった途端、旅の疲れがどーっと出て、ベッドにもぐり込み、寒さに震えながら、翌朝早くまで死んだように寝てしまった。

 

注 3 ) 広さは約 10 万ヘクタール。日本最大の釧路湿原の 4 〜 5 倍にも及ぶ。ここはヨーロッパでも有数のフラミンゴの飛来地として知られている。ガルディナーというフレンチ・カウボーイが白馬や黒牛の放牧をしていることでも有名。また、ここにはフランス唯一の「水田」が見られる。

また、フランス映画『 ガスパール〜君と過ごした季節』( 1990 年)にもこの地方の情景がふんだんに出てくる。

注 4 ) アニス(セリ科の一年草)の種のように見える果実(香辛料として用いる)の風味を主に、コリアンダー、シナモンなどのスパイスとオレンジの皮の風味を加えたアルコール分 25 度の無色透明でさわやかな味が特徴のリキュール。

 

注 5 ) ドイツ語の Irrigator 。イリガートル。点滴や洗浄に用いた医療器具。米映画『カッコーの巣の上で』(ジャック・ニコルソン主演、 1975 年)の一シーンに白いホウロウの irrigator が出てくる。

 

 

 

3. L'isle sur la Sorgue Carpentras の日曜アンティーク・マーケット

時差ぼけもあり、目を覚ましたのはまだ午前 5 時だった。まだあたりは真っ暗。ただ下弦の月が零下の空にかかっていた。夜明けにはまだほど遠く、もうひと寝入りしたいところだったが、今度は寝過ごしてしまいそうなので、一気に起きてしまった。日曜日の朝は L'isle sur la Sorgue で有名なアンティークの屋外マーケットが開かれる。このマーケットは一年を通して毎週日曜日の朝からお昼にかけて開かれる。予定なら、朝 8 時から始まるのだが、この寒さなら、まあ 9 時ころに行けば十分だろうと思った。気がはやり、落ち着かなかったが、しっかりと朝食をとり、朝もやの中、霜で真っ白になっている車に乗り込んで出掛けた。 L'isle sur la Sorgue に着いたら、まだ 8 時半であった。ディーラー達はほとんど到着しているようだった。しかし、かじかんだ手で品物を車から降ろすのがやっとで、さすがのディーラー達にもディスプレイする元気は消えうせているような感じを受けた。私たちも冷えてきて、どうしようもなく寒いので、もう一度車に戻り、日がもう少し高くなり、ディーラーが商品を並べ終えるのを待つことにした。車中で居眠りしながら待つこと 1 時間近く。やっとマーケットを訪れる人の数も次第に増え、私たちが車を止めている Sorgue 川沿いにも駐車する人が目立ってきた。 1 時間ほど前にマーケットを歩いた時に比べ、少し暖かくなったようだ。さっそく一番端のブースから夢と希望に燃え、ウキウキとして目を皿のようにして、アンティーク狩りを始めた。

しかし、期待に反して、めぼしいものはあまりない。あっても高い。やっとのことでスカートの裾から切り取ったと思われるきれいなレースを発見した。それと、以前にイギリスのマーケットで買ったのと同じアルミニウムの キャニスター 注 6) のセットも見つけたが、その時よりずっと高値になっていた。なぜ、こんなことが起きるのだろうか?後日、聞いた話だが、 EU が統一通貨を導入する前、まだフレンチ・フラン華やかなりし頃、イギリス人(主にアンティーク・ディーラーやコレクター達)がフランスにやってきて、そのころはスターリング・ポンドがフレンチ・フランよりずっと強く、彼らはフランスのアンティークやヴィンテージをかなり安く手に入れることができた。そこで彼らはコーヒーポットやキャニスターを始め、いろいろなものを買って帰った。ところが、 2000 年に EU の通貨統一によりフレンチ・フランがなくなり、当時フレンチ・フランで購入したものが、同じものでもイギリスのマーケットで販売しているものの方が、今では故郷のフランスより安くなってしまったという皮肉な現象が起きているとのことだ。

ちょっと余談だが、イギリスが未だにEU統一通貨 EURO を導入していないが、その理由は、一説にはクィーンの顔が通貨から消えてしまうのが、イギリス人には耐えがたいからだそうだ。

さて、 Avenue des quatre Otages 沿いに並ぶブースを 3 回ほど往復して細かく見て回ったが、収穫はいまだにさっきのスカートのすそのレースだけであった。寒くて期待外れのマーケットを後にして、同じ L'isle sur la Sorgue 市内にある Le Village des Antiquaires de la Gare というモールの一角に店を構えるムッシュー・レナルドの店を訪れた。彼に会うのは去年の 6 月に続いて 2 回目。前回は日本でも有名な JAPY 注 7 ) 等のホウロウのコーヒーポットをいくつも購入した。店内に入るとムッシュー・レナルドは勿論、私のことを覚えていて、大歓迎してくれた。彼はアンティークのホウロウ製品にも造詣が深く、前回と同じようにいろいろ説明してくれた。今回、私はホウロウの水差し、昔の嫁入り道具といわれたバラ模様の取って付きの鍋とストレーナーと柄杓のセット、そして、初期のキャニスターを購入した。親切な彼は私が購入したものを日本へ持って帰ることを考慮して、非常に厳重に梱包してくれた。しかし、彼には内緒だが、私は素晴らしいものを手に入れた喜びで、その日の夕方宿に帰ると直ぐに、彼の立派な梱包を開けて、ゆっくりと悦に浸ってしまった。しかし、こんな喜びはいつもいいものだ。

彼が私の買物を梱包し終わったところで、今度は彼に今日の午後のおすすめのマーケットを尋ねた。彼は Pernes les Fontaines の隣町の Carpentras のアンティークの日曜マーケットを教えてくれた。

ムッシュー・レナルドの店を出て車に戻る途中 Avenue de la Liberation を通った。日曜日なのでアンティーク・マーケットだけではなく L'isle sur la Sorgue で恒例の ”Marche typiquement provencal” というプロヴァンス特産品マーケットも開かれていた。ここでは野菜、果物、チーズ、パン、ドライフルーツ、乾物などが売られていて、このマーケットも一年を通して毎週日曜日に開かれている。私はここでデーツを一箱( 1kg 入り) 4 ユーロで買った。このデーツ(ナツメヤシの実)という果実は北アフリカから、イランにかけての砂漠の民族の常用食である。

 

テキスト ボックス:    Carpentras−ソルグより収穫のあった日曜恒例のCarpentrasのマーケット。コーヒーミルの品定めをしているところ。  L'isle sur la Sorgue から Pernes les Fontaines を通り抜け、車を飛ばして約 30 分で Carpentras に到着した。 Boulevard Alfred Rogier 沿いの広い市営の屋外駐車場には長さ 300m 位にわたり、左右にディーラーが店を並べ、 L'isle sur la Sorgue とは全く違った気取らない雰囲気のアンティーク・マーケットを開いていた。まず、右側のブースから見ていくことにした。いい予感がした。まず、今回のお目当ての一つ guirlande 注 8 ) を見つけた。木綿の生地に水色の刺繍糸で子ブタとウサギが描かれているもの。それから、恐ろしく丈の長い木綿の白いスカート。なんと裾には二重にレースがほどこされている。どんな長身の女性がはいていたのだろうか。ちょっと太めで親切な年配のマダム・マリアンヌがこのスカートを売ってくれた。彼女はほかにもいろいろ布製品を販売していたが、もう一つのお目当てのエプロンは持ち合わせていなかった。

その後、今度は左側のブースを丹念に見て歩く。そして、ほとんど最後のブースでホコリにまみれたホウロウの老舗である BB 社 注 9 ) のブルーのチェックのキャニスター(6個揃)と SEL 缶 注 10 ) 、 レードル・ラック 注 11 ) そして、 シャボン・ラック 注 12 ) を見つけた。勿論、すぐに買ってしまった。更にこのディーラーは壁掛け式コーヒーミルを 5 台ほど持っていたが、その中でもチェコ語でコーヒー Kava と文字の入った アールデコ様式 注 13 ) の模様の描かれたコーヒーミルが気に入ってすぐに購入してしまった。この二つは全く思ってもみなかった大きな収穫であった。

最後に、会場出口近くのブースで、 2 種類のミシン刺繍のアンティークではない guirlande を見つけた。 1 枚は全長 12m( 緑の刺繍糸で洋ナシが描かれた ) 、もう一枚は全長 11m( 青い刺繍糸でチーズとそれを狙うネズミが描かれている ) もので、丈は双方ともに 5cm くらいの細いものであった。

『 L'isle sur la Sorgue よりよっぽど面白かったじゃない』とスミレちゃんと話しながら、午後 4 時頃帰路についた。今日は大収穫があった。その夜は買い物の整理と仕入れ台帳付け、そして、それぞれの品物の番号付けをして『まあ、今日は良かったんじゃないの!』と、スミレちゃんがシャワーを浴びている間に一人ほくそえんで、寝入ってしまった。

 

注 6 ) 小麦粉、砂糖、コーヒー、紅茶、スパイスなどを入れる保存容器。材質は陶器、ホウロウ、ブリキ、アルミ、ガラスなどさまざま。大きさが大小5〜 6 個くらいで1セットになっているものも多い。アンティークの好きな人はキッチンの実用飾りとして使用している。

 

注 7 ) 詳細は不明だが、 19 世紀末期〜 20 世紀初期のフランスの有名なホウロウ・メーカー。

 

注 8 ) 日本語なら『棚板縁飾り』といえるかもしれないが、フランス人にこれの正式名称を尋ねたが、誰も絶対 ” これだ! ” というフランス語を教えてくれなかった。ここでは一応“ guirlande” にしておく。どなたか正式名称ご存知の方はお教えいただきたい。

 

注 9 ) 日本では 19 世紀末期〜 20 世紀初期のフランスの有数のホウロウ・メーカーといわれているが、実際には当時のオーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンとプラハにあった Actiengesellschaft der Emaillierwerke und Metallwarenfabriken >Austria< Wien 及び Vereinigte Emaillierwerke und Metallwarenfabriken, Prag が BB 社である。 (“EMAIL fuer Haushalt und Kueche” Brigitte ten Kalte-von Eicken, Haedecke Verlag, 出版年不詳 ) イニシャルが、なぜ BB なのかその理由は調べ中である。

 

注 10 ) 塩入れのこと。同じような形をしたホウロウの塩入れで SEL (フランス語)の他にも SALT (英語) , SALZ (ドイツ語) , ZOUT (オランダ語)と書かれたホウロウの塩入れもマーケットで見つけることがある。

 

注 11 お玉、あるいは柄杓掛け。たれ汁受けも付いている。

 

注 12 ) ここでは savon mineral, savon noir, cristaux の 3 種類のホウロウのカップがのったサヴォンラックを 見つけた 。 かつて、ヨーロッパではこのようなラックに石鹸、苛性ソーダ、砂をいれ、洗濯や掃除(床や壁?)をする際に使用していた。 SEL 缶と同じように色々な言語で表記されたシャボン・ラックがあった。

 

注 13 ) Art Deco 1925 年に Paris で開催されたパリ万国装飾美術博覧会を機に 30 年代後半まで世界に流行した装飾美術様式。装飾的特長は直線を強調した幾何学形態にある。装飾美術や工業美術に広く影響した。

 

まりあから一言 <1>

旅行中は食べ物や飲み物に注意

外国へ旅をすると自分の知らない食べ物を口にすることが大変多くなり、胃袋をびっくりさせる食べ物を口の中に放り込む。しかし、それが楽しみという人も多いのだが。

たとえば、私が食べたバゲットだが、生地にオリーヴを混ぜ込んだもので、塩辛いものが大好きな日本人にもかなり塩辛く感じられるので注意が必要。

また、魚貝類が新鮮でおいしいと言われるフランスでも、貝類には特に要注意である。私の知り合いから聞いた話だが、ある日本人がフランスで貝を食べ、その直後から腹痛、嘔吐、下痢に 3 日間苦しんだ。しかも、回復後もこの人は貝類にはアレルギーになってしまったそうである。

そして、アルコールにも注意が必要。飲むなら適度というより、少なめに。疲労回復に役立つはずのワインが次の日まで残り、逆効果にならぬよう気をつけてほしい。

4.アメリカ人の憧れ

テキスト ボックス:    Pernes les Fontaines−アメリカにはない歴史の重さを街並みにひしひしと感じる。  月曜日はアンティーク・マーケットもショップもお休み ( ショップは冬以外は土、日、以外に月曜日に開店するところが多いらしいが ) 。今日も晴天。春の一日が待っていると思うと、きょうはアンティークはお休みでも元気が出てくる。

朝 9 時過ぎに家を出て、まずは地元 Pernes les Fontaines を探索した。車を降り歩き出すと、直ぐにアメリカにはない歴史の重さを街並みに感じた。だから、国の歴史が浅いアメリカ人がフランスに憧れる理由がわかる気がする。アメリカ東部ニューイングランド地方に行けば、それなりの古い建物やモニュメントに出くわすことがある。しかし、ここは古さが違う。家々の壁に、町の路地裏の石畳に歴史が何層にもなって積み重なっている。アメリカがいくら頑張ってもこの積み重なった歴史を真似することはできない。当然のことだが。

 

L'isle sur la Sorgue を出て、昨年 D900 号線 注 14 ) 沿いの Coustellet にあったアンティーク・ショップを訪れたが、入口の小さな黒板に日曜日と月曜日は ferme(closed の意 ) と書かれていてがっかり。でも、この店は日曜日もやすむのか!去年もらってきたチラシは ”7days a week” と書かれていたのに。

近くに、ラヴェンダー博物館があったので行ってみたが、冬でもあり博物館は閉館中。併設の売店のみが営業していたが、大したものはなかった。若い女性店員がラヴェンダーを使った品物を、これでもか、これでもかと私たちにしつこく売ろうとするのには辟易した。こちらに着いたばかりで、お土産のまだ必要もなかったし、 5 分足らずで早々に飛び出てしまった。

その後、 L'isle sur la Sorgue まで戻り、日本でインターネットで探しておいた自然食品 店 ” Nature Isle ? ” を訪れたが、ここフランスでも自然食品が非常に高いことに驚いた。しか し、その中で比較的安価な “ クスクス ” 注 15 ) 、 “ ブルガー小麦 ” 注 16 ) 、 ” レッドビート “ の真空パック、そして生姜もあったので、それらを買って帰宅し、夕食を作った。

 

注 14 ) フランスの道路は4つのカテゴリーに分かれている: A (Autoroute :オートルート/高速道)、 N ( Route Nationale: 国道)、 D ( Route Departmentale :地方道)、 C ( Voie Communale :コミューン道

 

注 15 ) Couscous- 硬質小麦の一種デュラム小麦の粗挽きに水を含ませ、粟状の小さな粒にした世界最小のパスタ。フランスにはかつてクスクスを常食とする北アフリカに広大な植民地から移民した人々が多いので、クスクスはどこの食品店やスーパーでも手に入る調理が簡単な食材。

 

注 16 ) Bulgur Wheat- 硬質小麦の一種デュラム小麦を全粒のまま蒸した後、粗挽きにしたもの。

 

まりあから一言 <2>

私の旅先でのヴェジタリアン向特別朝食レシピ(一人分)

<生の発芽玄米の果物・海藻入りミュズリー>

1)大き目のボールに発芽玄米(大さじ3杯)を適量のレーズンやドライ・プルーンや生アーモンド(食塩にまぶしたものやローストしたものは薦めない)と一緒にヒタヒタの水につけ、一晩置く。

2)翌朝(1)の中にリンゴを粗くおろし、バナナをフォークでつぶして混ぜる。更にそこに季節のいろいろな果物を粗く刻んで入れても美味しい。

3)(2)に生クルミの殻を割って入れている間に、海藻(特に乾燥の芽ヒジキ、アラメ、ワカメなどがおすすめ。軽いので外国に持っていくのにも楽)を少なめ水につけ、食べやすい柔らかさになるまで置く。

テキスト ボックス:  まりあのおすすめ−生の混ぜご飯(生の発芽玄米に果物、海藻を入れたミュズリー)4)(2)に(3)を戻し汁と一緒に混ぜる。

5)(4)をカフェ・オ・レ・ボウルなどに盛り、シナモンやジンジャー・パウダー、あるいはナツメグ・パウダー、カルダモムなどを適量振り掛けて出来上がり。

 

このボウル一杯の特製ミュズリーはおなかもちがよいので、昼食を抜いても大丈夫。普通の玄米は水につけておいても一晩くらいでは食べやすい柔らかさにはならないが、発芽玄米は十分に柔らかくなる。また、発芽玄米の代わりにクスクス ( プレーンのもの ) やブルガー小麦を使っても良いが、あまり長く水につけると、柔らかくなり過ぎる。

5. Apt での落胆

私の願いが天に届いたのか、少々雲は多いながらも今日も天気がよい。良いことがいっぱいありそうな予感した。気がはやるが、アンティーク・ショップ廻りの前に Pernes les Fontaines の街を再び散歩する。この町にはアンティーク・ショップはないと思っていたのだが、それは間違いだった。 Quaide Verdun と Rue Ventabren の角に昔ホテルであった建物に antiquites と書かれている看板が目に飛び込んできた。残念ながら火曜日は午前中はクローズドで、午後 14 時から 18 時までオープンと営業時間の表示があった。しかし、後日そのアンティーク・ショップに行ってみると、そこは私の好きなカントリーなアンティークではなく、ゴージャスなアンティークを少し置いていただけであったことを付け加えておく。

一時間足らずの朝の散歩の後、県道 D900 号線沿いの Coustellet のアンティーク・ショップへもう一度向かう。 L'isle sur la Sorgue を通過し、 10 時半に店前に到着した。すでに門は開いており、入口でエクステリアのアンティークを掃除していた初老の男性が,『今日はやってるよう!』と言っているらしく、店のドアを開けてくれたが、売り場面積は昨年来た時の半分になっており、当時に接客してくれた若い女性の姿も無かった。しかし、昨年もあった大型の体重計はまだ売れ残っていた。その店での獲物は、 1 箇所も破損していないかなり古い頑丈な編み籠。赤の刺繍糸で花咲く木々の枝とそこに止まっている小鳥が描かれたリネンのテーブルクロス。古いリモージュのお皿。それに、鏡が付いているコート掛けホック付きのグレーのシェルフであった。それに独特の色合いのホウロウ製の水差しも見つけたが、まだしばらくこの近くに泊まっているので、もう少し考えたい、と言って店を出た。

さて、 Apt のイレーヌおばちゃんの所にたどりついてみると、最悪の事態が待っていた。倒産しているようには見えなかったが、ショーウィンドのガラスの後ろには店の幅いっぱいに板が立てかけられていて、店内は全く見えない。ただ茫然として立ちつくしてしまった。隣の店も ( 去年はここでグリーンのホウロウのシェードを 3 個購入した ) 堅くシャッターを降ろしている。何たることだ!向かいのキオスクに入り、『おむかいさんは?』と聞くと、『 3 月までお休み!ヴァカンスよ!』。『じゃ、右のお隣さんは?』『そっちも 3 月までヴァカンス!』もうこれ以上は言葉が出なかった。去年はこのイレーヌおばちゃんのところで、アルミの食器類、リネンのテーブルクロスや服などを大量に購入したので、今回はもっといいものをと、手ぐすねを引いて待っていただけに、あきらめても、あきらめきれない思いでその店の前を立ち去ったが、『さあ、今日はこれからどうしようか』と途方に暮れてしまった。今の季節はシーズン・オフだということがよくわかった。次回は早くてもイースターのころに来ることにする。シーズン・オフはもうこりごりだ。すっかり落胆して、 Apt の町をうろうろしているとなんとなくアンティーク・ショップの雰囲気の漂うお店の前に来た。これは!と喜んで近寄って、よく見るとそれは『 L'INTRAMUROS 』というレストランであった。残念ながら、開店前で店内は薄暗くはっきり見えなかったが、 1930 年代から 50 年代ごろのものと思われる什器を使用し、テーブルの上に置かれた食器類も、同じ頃のものが並べられていた。なんともうらやましい。私にとってはゼイタクの限りを尽くしているレストランだった。中に入って味の方も試してみたかったが、どういうわけか入らず、その後も、行ってみようともしなかった。しかし、あの時なぜあの店で食事をしなかったのか、今も後悔している。後で行ってもよかったのに。この町に未練を残し、この間の日曜日に BB 社のキャニスターなどを手に入れた Carpentra の町に行って、アンティーク・ショップを探すことにした。さっき来た道を戻ってもつまらないので、地図上では近道だと思える、 Plateau de Vaculuse の山越えをして Carpentras に向かうことにした。山越えといっても Plateau de Vaculuse は一番高いところでも海抜 627m しかなく、たいしたことはない。道はきれいに舗装されている。幸いにも交通量も皆無。しかし、道は狭くカーブがかなりあり、土地のフランス人はこんなところでもかなりのスピードで飛ばすので、運転をしてくれているスミレちゃんは周りの美しい景色を見ている余裕はほとんどなかった。

テキスト ボックス:    Apt−『L'INTRAMUROS』はレストランではなくアンティーク・ショップのように見える。こんなお店がほしい。  ここの山々にもローマ人のせいでほとんど大木は見当たらず(このことに関してははじめの方にも書いた)、名前はわからないが、あまり背の高くない広葉常緑樹が道の両側に茂っている。また、両側が高い岩山の日陰の車道に入ると、もう昼過ぎだというのに、うっすらと霜もまだおりていた。その反対に、日の当たっている畑には春の小さな白い花(ナズナ科の植物であろう)が咲いていた。

Apt を出て 50 分ほどで Carpentras に着いた。 Carpentras はミント入りキャンディー Le Berlingot de Carpentras で有名である。その起源は 14 世紀までさかのぼることができるそうである。前もって電話帳で探しておいたここのアンティーク・ショップ2軒ほどを見たが、大したことはなかった。

その後、フランスのスーパーはどんなものか興味があったので、近くの大型スーパー E. Leclerc に入った。アメリカのスーパーにも劣らない規模である。チーズ売り場の大きさと品揃えは、さすがフランスであった。私は日本に戻るまでに紙ではなく、木製の丸い箱に入ったチーズを 10 種類ほど集めた。チーズの味も箱のデザインも千差万別で興味深い。集めたチーズの箱は今私のお店に飾ってある。先日、お客さんが来て、まりあさんはチーズも売ってるの?と聞かれた。『まさか!』

 

 

まりあから一言 <3>

スーパーでも自然食品と有機農産物が十分に手に入る

ここプロヴァンスにも E. Leclerc 、 Auchan 、 Intermarche 、 Carrefour 、 SuperU などの大きなスーパーがあり、品揃えが立派である。フランスでは売り場面積が 400 〜 2500 uの店をスーパー・マーケット supermarche と呼び、それ以上の店はハイパー・マーケット hypermarche と呼ばれる。

ここで、とくに自然食が好きな方々に耳寄りな話がある。フランスでも自然食品、有機農産物が人気を集めており、これらのスーパーにも、自然食品コーナーが設けられているし、野菜売り場には有機農産物も並んでいる。野菜生産の最盛期の夏にどのくらいの量の有機農産物が並んでいるのか見てみたい。しかし、今は真冬。新鮮な有機野菜を買うのは難しいと思っていた。しかしそれでも、野菜ではチコリーやエンダイヴ、ニンジンなどが、また、果物ではりんご、オレンジ、バナナなどもあった。自然食品コーナーではオーガニック・コーヒーや紅茶からスパゲッティーやクッキー、レンズ豆やクスクスまで並んでおり、日本の普通のスーパーでは考えられないほどの立派な自然食品の品揃えであった。私のように旅先でも普通のレストランで食事をするのを好まない自然食自炊派には最高である。パン売り場にはオーガニックの小麦を使ったバゲットやカンパニューも売っていた。

フランスでも普通の自然食品の小売店は値が張り、そこに行くのは、環境問題が好きなお金持ちか、今まで好きなものを飲み食いしてきたが、最近になって急に病気がちになってしまったお金持ちだけのようである。だから、大きなスーパーで格安に有機農産物や自然食品を購入できるのは素晴しいことである。

なお、フランスのオフィシャルのオーガニック・マークは黄緑の地に白抜き文字で AB と書かれている。

 

6.Avignonでも落胆
テキスト ボックス:    Avignon−Les Hallesの一階にある食品店街のジャガイモとニンニクの専門店。  朝7時半。やっと明るくなってきた。こちらにきてちょうど1週間たったが、この1週間で30分ほど早く明るくなるようになった。この日の朝は快晴。雲一つない。しかし、北寄りの風が強く、かなり寒く感じる。朝のテレビの天気予報では、北フランスでは天気が悪いうえに、風も強く、かなり寒いらしい。プロヴァンスでまだよかった、と思った。
さて、今朝は南仏の古都AvignonのPlace Pieのアンティーク・マーケット(毎週火曜日と木曜日の朝に開かれる)に行ってみることにした。宿を出たのは7時45分。Avignonの城壁内の中心部にあるLes Hallesの立体駐車場に着いたのが8時20分。4階まで登り、車を置いて外に出た。寒い。風が冷たい。Place Pieはこの駐車場のあるビルの前の広場だが、スタンドも一つ出ていないし、ディーラーも一人もいない。ちょっと不安になって、この広場に面している近くのパン屋に行って女店員に聞いてみたが、いつもやっているのに、今朝はどうなっているのかは知らないという。まあ、寒いし早いし、まだ誰も来ていないのだろうと推測し、とりあえず、電話帳に出ていたこの近くのアンティーク・ショップを探してみる。幸運にもその10軒はほとんど同じ一角に集まっており、徒歩でも回れる距離にあったので、この10軒すべての店を非常に簡単に見つけることができた。しかし、当然のことながら、早朝ですべての店がまだ閉まっていた。しかも、ショーウィンドを通して店の中を見る限りでは、私が好きなカントリーのアンティークはまったくなかった。こんなことをして一時間ほど暇をつぶし、再びLes Halles前のPlace Pieに戻った。だが、そこにはさっきなかった車が一台だけ止まっていた。その車の中をのぞき込むと、アンティークらしきものも見える。ただ肝心のディーラーの姿が見えない。その車の近辺にも誰もいない。あきらめ半分で、しばらく待って、Les Hallesの中に入いろうと、ふと見上げると、Les Hallesの外壁が本物の植物が植えられている(張り付けてあると、表現して方が正確)のに気がついた。今は冬だが、春になりここに張り付けられている植物たちが元気になりだしたら、どんな外壁になるのだろう。
ところで、このLes Hallesの一階はデパ地下のようにいろいろな食品店が40店舗ほど集まっている。毎週月曜日を除く毎日、朝7時から午後1時くらいまで営業している。いつも良質の食材が手に入ると、地元では評判で、自然食品店 Bio Gourmet”もあった。その上は24時間営業の立体駐車場(556台収容)になっている。
30分ほどいろいろな店を見て回り、それから再度外に出てアンティーク・マーケットの様子をうかがってみる。驚いたことに、さっきまであった一台の車さえもどこかに消えてしまった。ああ、何と言うことだろう!
もしかしたら、あの寒さと風が小型のミストラルだったのかもしれない。だから、ディーラーたちは本日一回休みを決めたのであろう。プロヴァンス特有のミストラルという、恐ろしい季節風はどんな風なのだろうか?ピーター・メイル注18)の『南仏プロヴァンスの12ヶ月』に詳しく書かれているので、参考にしていただきたい。

注18)Peter Mayleイギリス人、1939年生。もともとは広告マン。大手広告代理店でクリエイティヴ・ディレクターにまでになった。その後、子供向け性教育の絵本を書き大成功を収める。その間に夏はニースで過ごし、旅行者として何度もプロヴァンスを訪れ、ここが大変気に入ってしまい、1986年、18世紀に建てられた石造の農家を買い取り、プロヴァンスに移住する。1989年に『南仏プロヴァンスの12か月』を出版し、イギリス紀行文学賞を受賞。その後、著者のプロヴァンスに対する愛があふれている作品を書いている。『南仏プロヴァンスの木陰から』、『南仏プロヴァンスの昼下り』、『どうぞ、召しあがれ!―フランスの食祭りの旅』、『贅沢の探求』、『プロヴァンスの贈りもの』、『ホテル・パスティス』、『愛犬ボーイの生活と意見』、『南仏のトリュフをめぐる大冒険』(日本語で、ほとんどが河出書房新社から出版されている)など。気楽にプロヴァンスの生活について知るには、よい本である。

まりあから一言 <4>
冬のプロヴァンスでおいしい果物3
a.バナナ
えっ!フランスでバナナが美味しいのと思われるだろう。EU諸国に輸入されているバナナはカリビクや北アフリカから来ているものが多い。日本に輸入されているバナナは8割以上がフィリピンからである。普通、バナナは果皮に茶色の斑点「シュガースポット」が出てくると食べ頃、と言われているが、フランスで売られているバナナは少し緑色でも信じられないくらい甘くておしい。日本でこのような緑色のバナナを買ったら甘さなどほとんどなく、渋くてまずいだろう。何が違うのだろうか?産地の違いだろうか。
ここで、バナナの薬効について少し書き加えておくと、
カリウムが豊富で、ナトリウムを排泄し、血圧を抑える効果がある。そのため脳梗塞や心筋梗塞、糖尿病の予防にもなる。また、豊富な食物繊維やフラクトオリゴ糖が消化を促進し、便秘改善にも効果的。フラクトオリゴ糖には腸内のビフィズス菌を増やす効果があるといわれている。それゆえ、普段からバナナを食べている人は大腸ガンにかかりにくいともいわれている。バナナにはほかの果物と比べて新陳代謝に欠かせないマグネシウムが多いのも特徴。

b.アヴォカド
えっ!フランスではアヴォカドも美味しいの、とまたまた思われるだろう。体内の余計なナトリウムを排泄してくれるカリウムをバナナの倍も含んでおり、高血圧や脳梗塞、心筋梗塞など予防にも効果が期待できる。癌や動脈硬化の予防や老化防止に効果があるといわれているビタミンEや各種ビタミン、鉄やリンなどのミネラルも豊富に含んでいる。また、アヴォカドは『森のバター』といわれるように、脂肪分が多いのも特徴。果肉のなんと20%近くが脂肪分で、この脂肪分は血液をサラサラにしたり、コレステロールを減らす不飽和脂肪酸が主体なのでとても健康的。また、食物繊維も豊富で便秘予防にも効果的。そして、100gあたり187kcalという高エネルギーは夏バテ予防にも最適と言われている。
私がいたところでは、アヴォカド一個の値段が日本の大体半額から7割くらいである。3個で1ユーロなどという時もあった。しかも、安いだけでなく、おいしさも格段の差があった。油分が多くしっとりしており、果実も大きめ。産地はスペイン産のものが多い。日本で売られているものはメキシコ産がほとんどのようであるが、味も日本のメキシコからの輸入品よりずっとおいしい。隣国スペインから完熟した、あるいは完熟に近い状態でフランスに入ってくるので、遠く太平洋の遥かかなたのメキシコで未熟で収穫され、そのまま日本向けに輸出されたアヴォカドとは味に差があっても当然だろう。

c.クルミ
『植物性の卵』とも呼ばれ、栄養素の65%を占める脂質に、リノール酸やリノレン酸などの良質な不飽和脂肪酸を多く含んでいるので、血中のコレステロールを下げ、心臓病や動脈硬化、癌などの生活習慣病を予防する働きがある。
更に、豊富に含まれる良質の蛋白質の他に、カルシウム、食物繊維、ビタミンB1、ビタミンE、鉄分などの現代人に不足しがちなビタミン・ミネラルをバランス良く含んでいて、老化防止に、体力増強に、女性にとっては肌を若々しく保つ効果なども期待できる。
日本で売られている国産の殻つきのクルミは小さいし、高過ぎる。フランスのクルミは大きくて安いし、ずっと美味しい。特にGrenobele (フランス南東部のアルプス山脈の西端にある街) 産のクルミはおいしい。クルミ割り器を使えば殻は楽に割れるし、殻自体もそれほど堅くないが、殻つきのクルミの値段は1kg大体4〜5ユーロ(600〜800円)。冬がクルミの旬の時期である。少し余談になるが、殻を割って干したクルミは一晩水につけてから食べると、美味しい。殻を割ったばかりクルミの味に近づくようである。
また、フランスではクルミ割り器は街のキッチン用具を扱っている店ならどこにでも売っている。日本でこれを使うことはあまりないが(アメリカ人の知り合いはロブスターを食べるとき、殻を割るのにも便利だとも言っていた。日本人ならカニを食べるときに重宝するかもしれない)、自分のフランス旅行の実用的な記念品として購入するのもよいと思う。勿論、洒落たお土産にもなる。
私はこの上の3つの食べ物をワインやクロワッサンやバゲットよりもお勧めする。フランスに行かれたら、必ずお試しいただきたい。日本では味わえない、特別の美味しさがある。


6.雨にも寒さにもめげず。。。。やっとまともなアンティーク・マーケットに
テキスト ボックス:    Villeneuve les Avignon−アンティーク・マーケットは毎週土曜日の早朝から。Rhone川からの風が非常に冷たい。  昨晩寝る前に雨が屋根をたたく音がしていたが、別に気にもせず寝入ってしまった。目が覚めると5時半だった。もう雨の音も聞こえない。昨日の日記に書き残したことを書き加え、ゆっくり朝食をとり、いろいろ整理をしていると7時を回ってしまった。あわてて暖かい服を着込んで外にでると、なんとまだ雨がかなり降っている。一瞬、いや、しばらく出発をためらってしまった。行くか、一日ここでごろごろ暇つぶしをするか。日本なら絶対中止だが、まあ,ダメもとで行ってみた。昨日はこの時間、少し明るくなっていたが、今朝は雨ふりでまだ真っ暗。フランスに来て初めての雨。土曜日の早朝なので車の数は極めて少ない。しかし、10分も走っていると辺りはほんのり明るくなってきた。Avignonに入る頃には、完全に夜も明けてきたが、雨は依然として降っている。『Avignon大学』という表示が、かつてのAvignonの町の城壁にかかっている。そこまでほとんど真っすぐだった道はそこで城壁に突き当たる。そこを右に折れしばらく行くと、道はRhone川沿いに走る。素晴らしい光景である。道の左側は自然の大きな岩山を利用したAvignonの城壁、右側は水量豊かなRhone川が流れている。世界中に知られた「アヴィニョンの橋の上で踊ろうよ」という歌で有名なPont Saint-Benezetという橋がRhone川の中ほどまで伸びている(13世紀後半に建設された頃には22のアーチをもつ立派な橋だったが、相次ぐ戦争や川の氾濫でその多くは倒壊。現在では、4つのアーチと2階建ての小さなサン・ニコラ礼拝堂を残すのみとなっている)。マーケットのない日に一日かけてこの城壁や橋、Rhone川の景色も含めて、Avignonの観光をしたいと思った。3日前に来た時には、汚い大きな街だと思ったが、今日はその考えが大間違いだったことを自覚した。物事はやはり少し時間をかけて判断するべきで、早合点は禁物である。
さて、Rhone川をわたり目的地のVilleneuve les Avignonへ。アンティーク・マーケット(毎週土曜日の早朝から)が開催されているが、どこにあるのか全く見当もつかない。適当に車を走らせる。雨の中の公園に何台もの車が止まり、何人もの人々がその間を行き来している。そして、置いてあるテーブルの上には、アンティークとおぼしき品々が雨に濡れながらも置いてある。もしやと思い、駐車場と思われるところに停車し、下車してちょうどそこで犬を散歩させていた女性に『BROCANTE?????』と尋ねると『OUI!』との返答。もう一度たずねる。『BROCANTE?????』『OUI!』なんと幸せな気分!来てよかった!来てよかった!雨にも負けず、来てよかった!
明るくなってくると、雨の方は大分小降りになった。普段は屋外駐車場として使われている広場に入ると、アンティークの椅子、テーブル、棚など濡れたら困るものも、雨だというのにたくさん無造作に濡れたまま並べられていた。フランス人のディーラーは、のんき、無頓着。あまり細かいことには国民性か、あまりこだわらない。しばらくすると雨はほとんど上がったが、風がかなり冷たい。寒い。また例のミストラルかもしれないなあ、と思いつつ会場を見渡すと、皆楽しそうにやっている。ディーラーの中には唄いながら品物を車から運び出しているものもいる。勿論、誰も悠長に傘などさしていない。隣同士で、おしゃべりをしながら、熱いコーヒーをすすりながら(中には赤ワインをひっかけながらのディーラーもいた)、とにかく、自分の仕事を楽しみながら続けている。うらやましい限り!!!
しばらくすると、青空も出てきた。太陽も顔を出した。お客さんも徐々に増えてくる。私も気に入ったものがあると,『いくら?』とか『安くならない?』とか『ベストプライスは?』とディーラーと手振りを交えながらやりとりする。値切り交渉には運と度胸などが必要だ。
会場を4回位回っただろうか。やっと見尽した感じがしてきたので会場を後にする。なかなかいいマーケットだった。収穫も十分にあった。また来週も来てみよう、と思った。

そこから、マーケットのスケジュールの掲載された雑誌(フランスにはアンティークの月刊専門誌『ALADIN』とか『Antiquites』がある)をたよりに、これから今日開催されるの面白そうなマーケットを探す。しかし、雑誌の小さなマーケット開催告知広告をみても、土地に不案内の私たちにとっては町を探すのはそれほど困難ではないが、町に入ってから会場に行きつくまでが一苦労。しかも、これらの雑誌の開催情報が正しくないこともかなりあった。また、インターネットで探した情報もあてにならないことが多い。そこで、私達は先週の日曜日に行ったムッシュー・レナルドのお店をもう一度訪れ、いろいろ教えてもらうことにした。私も自分でこの旅行の前にアンティーク・マーケットの開催予定表をいろいろ調べたが、地元の彼に聞くのが一番と思い、2月末までのプロヴァンス近辺のアンティーク・マーケットの開催予定表を彼に見せた。彼の意見では”Marche aux Puces”はリサイクル品が非常に多く、アンティークやヴィンテージで価値のあるものが並ぶことは少なく、例えあったとしてもそれは単なる偶然で、わざわざ行くのは時間の無駄である、と断言した。更に、日曜日のNimeで開催されるマーケットのことは聞いたことがない。おそらく、リサイクル。金曜日のLingeのショーも知らないが、雑誌のアンティーク・マーケットの開催予定表に出ているイヴェント名を見ると、面白いかもしれない。それよりも、途中にあるUzesという町にはアンティーク・ショップが10軒ほどあるので、是非立ち寄って見てくるといいと思う。思わぬ掘り出し物が見つかるかもしれない(私達をわくわくさせるような言い方だった)。Niceの毎週月曜日朝のマーケットは小物を探している人には非常に面白い大きなマーケットだが、ここからはハイウェーを通っても3時間くらいはかかるので、朝は早目に出たほうが良い。CannesのマーケットはNiceより小さく、土地柄で高いものが多いと思う。この他にもいろいろな助言を受けた。
別れ際に、ムッシュー・レナルドに私たちが1ヶ月Pernes les Fontainesに滞在するというと、彼は来週末ぐらいにCarpentrasにある自宅にお茶に来ないかと誘ってくれた。10年以上アンティーク・ディーラーをやっている彼は今までどんなものを自宅に集めているのだろう。また、フランスのディーラーはどんな家に住んでいるのだろうか?非常に興味があったので、彼の招待を喜んで即座に受けた。
テキスト ボックス:     L’isle-sur-la-Sorgue−マダム・イザベルとムッシュー・パトリース夫妻の店。右の写真にある、かなり古い大きなショーケースを購入した。  ムッシュー・レナルドのお店から出て、近くにあるアンティーク・モールをたずねた。交換機付きの昔の電話機、背の高いインダストリーユーズの医療用大型電気スタンド、濃紺色の折り畳みの椅子等等。。。。惚れてしまったものを挙げればきりがない。そして、マダム・イザベルとムッシュー・パトリース夫妻の店では、大きなグレーのショーケースを手に入れた。また、このご夫妻には後日いろいろとお世話になった。メールやファックスを日本に送ってもらったりもした。

 

7.日曜日なら何とかなると思っていた
こちらにきて1週間以上が過ぎた。お天気の方は、今日は寒いが、かなり良い。昨日は雨の中を出発したが、今日はその心配は全くなし。7時20分に出発、Avignonを通ってNimeに向かう。日曜日なので、昨日の土曜日の朝より車は更に少ない。
1時間余りでNimeに到着。ハイウェーを出たところで会場であるMarche de Gareの行き先案内板が出ている。そして、車が会場に近づくほど人はだんだん増えてくる。しかし、アンティークに縁のないような人々ばかりが会場に向かって歩いている。『あっ、安物市!リサイクルだ!』満杯の駐車場に苦労して車をとめたのに、下車もせず、即退散。雑誌の情報に惑わされ、リサイクル・マーケットに来てしまった。やはりムッシュー・レナルドの警告は正しかった。
その後、Generacという小さな町に向かう。コレクターが集まって何かを売っているらしい。Nimeからはそれほど遠くはなかったが、小さな村の小さな昔のお城を改修して作った集会所のようなところに、収集家たちがショーケースの中に小型の電気スタンドで照らされ、きれいに並べられたコインや切手を指さしながらうれしそうにながめていた。しかし、私たちにはここにも縁がので、早々に引き揚げた。
テキスト ボックス:    Molleges−アンティーク・ショップで雨ざらしの鎧戸を見つける  『さあ、これからどうする?』スミレちゃんと顔を見合わせた。ハイウェーを通っても何もないので、普通の道を暗中ではないが、模索しながらANTIQUESやBROCANTEの文字を探しながら帰路につくことにした。すべての看板がアンティーク屋の看板に見えてくるようになった。景色は素晴しく、天気もいいが、イライラしてくる。アメリカなら犬も歩けばではないが、行く町々大小の差はあれ、必ずといっていいほど、アンティークショップがあったのに、やはりここではそうは行かないようである。
Mollegesという町に入った時、左側に大きなANTIQUITESやBROCANTEの文字が目に入った。まさかという感じで、その文字を見たときは通り過ぎてしまったが、すぐにUターンしてその店に戻った。店の入り口のドア越しに目ぼしいものが見えてくると、自分の心臓の鼓動が聞こえてくる。店内をくまなく見、珍しい木製のお皿立て、古い陶器の大きな平皿とボールとソースボートなどの48点セット。店の外では美しい鎧戸を見つけた。雨ざらしになっているが状態もよい。次々に品定めをし、値段の交渉をする。お気に入りを来週の水曜日(来週の水曜日はArlesでアンティーク・マーケットがあるので、この町を通る)までホールドしてもらって、店を出た。
まだ時間も早かったので、そこから、L’isle surla Sorgueの『Cafe du France』というカフェに寄り道する。このカフェはL’isle sur la Sorgueの観光協会の近くにある。店の入り口がL’isle sur la Sorgueの絵葉書にもなって町の各所で販売され、思い出のL’isle sur la Sorgue白黒写真集の中にも出ているのを本屋の店頭で見た。それほど有名なカフェである。しかし、日曜の午後にもかかわらず、お客は少ない。きっと肝心なコーヒーに問題があるのだろう。お客さんはカウンターに一人。2つのテーブルにそれぞれ二人ずついるだけだった。コーヒーを頼んだら若いギャルソンがすぐにもって来た。彼も気楽で、私たちのところにカフェを持ってきた後、カウンターの端の自分の場所に戻るとまた新聞を読み出した。しばらくすると、後ろのキッチンからエプロンをした女性が大きなお皿に野菜とおかず、それにパンを運んできた。誰がこんなにゴージャスなメニュを頼んだのだろうと思っていると、私たちの隣のテーブルにそれを載せた。そこにギャルソンがおもむろにやってきて、座って食事を始めた。私は美味しそうに食べるギャルソンにやさしく微笑みかけたつもりだったが、彼は反応なし。というよりは、『何をニヤニヤ、こっちを見てるんだ』といわんばかり不愉快そうにこちらを見た。この時ギャルソンにひとこと『Bon appetit!』(ボンテキスト ボックス:    L’isle-sur-la-Sorgue−Cafe du Franceは絵葉書にもなっている。思いで写真集にも登場する。  ナペティ−美味しく召し上がれ!)と言い添えておけば気まずい思いをせずに済んだかもしれない!私の微笑みに深い意味はなかったのだが。。。。

まりあから一言 <5>
話をしている相手の目を見ながら話すこと
どうも日本人は欧米の人にとって不可解な薄ら微笑みを漏らすことが多い。ある人はその微笑みを『偽りの微笑』といった。外国人にしてみれば、何か馬鹿にされたのではないか、と思うような微笑である。日本人はどうも自分の考え方や立場が危うくなったりして、心の中が不安になると日本人同士でも不可思議なニヤニヤ笑いをしばしばする。外国人(日本人以外の)はこんなときはニヤニヤせず、真面目な顔で考え、何とか自分の考えや立場をはっきりさせようと発言し、行動する。
日本人が苦手なもう一つの作法は、『話をしている相手の目を見ながら話すこと』。ニコリともせず、相手の目を見ながら話す。これは難しい。日本の文化は『何で、ガンつけんだよう!』文化であるから、相手をじっと見つめずに話すのが習慣になっている。だから、欧米に行っていきなり相手の目を見ながら話すことは極めて難しい。向こうでは子供のころから目を見て話すことがしつけられている。親が子供に何かを問いただすとき、子供が親の目を見ずに話していると、『お前は嘘をついている。嘘をついていないなら、私の目を見て話せ!』と親からどやされる。だから、そんなしつけを受けている彼らと話をするときには、今述べたことを心しておく必要がある。さもないと、自分では真面目に話しているつもりでも、まずは相手に対して失礼であるし、また、肝心な自分が言っていることが、相手の心に響かない。しかし、そうかと言ってじっと相手の目ばかりを見つめているのも不自然で、やりすぎ。欧米の人でも考えながら話をしている場合、相手の視線をそらすときもある。だから、相手の目を見ることに慣れていない人でも、『はじめまして』と握手する瞬間や、自分が発言する最初のところで、また、相手の発言の最初のところで相手の目の辺りを見るようにすると、日本人の習性を知らない外国人からも失礼だと思われることはないだろう。

8.AvignonMontpellierのアンティーク・プロフェッショナル・マーケット
テキスト ボックス:    Avignon−Parc de Exposicionの140e Marche d’un jourにはアンティーク商だけが入場できる。  今日はAvignonのParc de Exposicionで140e Marche d’unjour(アンティーク・ディーラーだけが入場可)アンティーク・マーケットが8時からで開かれる。スミレちゃんの家からはこの会場はそれほど遠くないので、7時に出発した。しかし、外は土砂降り、時折稲光も見える。一昨日に続いて雨で一日が始まった。外はまだ真っ暗やみで、雨降り。しかし、荷物になるので雨具は一切持ってこなかった。折りたたみの傘さえもない。会場付近にはもうかなりの車が来ており、車道脇にもたくさん車が止まっている。ひょっとしたら車の中で一夜を明かした人もいたかもしれないと思った。雨はいっこうに止まない。それどころか、雨にアラレが混じってきて、車のフロントガラスがパラパラと音をたてる。
7時45分頃になると会場に向かう人が増えてくる。傘をさしている人は多いが、さしていない人もかなりいる。私たちもポリ袋を毛糸の帽子の上にかぶせ車外に出て、足早にとにかく屋内会場に入ろうと急いだ。雨の量が量だけにいたるところに水たまりができており、それを避けて通らなければならないので、まっすぐに進むことができない。歩行距離は直線に歩いた場合の2倍はかかっているだろう。ブルーシートの中央に穴を開け、そこに頭を突っ込んでポンチョのように羽織っている人もいた。この雨の中でも傘もささず、ゆったりと歩いているフランス人も多かった。せかせかしない国民性である。やっと一つの屋内会場にたどり着いたが、入口に大きく深い水たまりができている。浅そうなところを探しながら、つま先で飛ぶようにその会場内へ入った。この屋内会場では、ディーラーの大型ヴァンが、割り当てられた場所に止まって、車の中からディーラーが手際よく自分たちの商品を並べているところだった。その速さには目をみはるものがあった。下ろし方が速いだけではない。商品のディスプレイもかなりの速さである。しかし、ちゃんと様になっている。慣れもあるのだろうが、やはりセンスの良さによるものであろう。雨の中を次の屋内会場へ。

 

 


テキスト ボックス:    Avignon−Parc de Exposicionの140e Marche d’un jour  1950年代のキッチン・キャビネット。フランスらしさが漂う  少し小降りになってきたようだ。そして、30分もすると、あの雷雨がうそだったように晴れ上がってしまった。この日の収穫は、大量のファブリック類と1950年代のものと思われるフランスらしさが漂うキッチン・キャビネットであった。それと、今日のマーケットで一つ勉強になったことがあった。それは、いかなるときでも、接客の際には笑顔を絶やさないことだ。少しくらい商品が良くなくとも、お客さんはそのやさしい笑顔につられて、買い物をしたくなり、最後には買い物をしてしまうのだ。

その翌日も早起きで、MontpellierにJournees Professionnelles Internationales de l'Antiquite et de la Brocante(インターナショナル・アンティーク&古物フェア)を見に行った。家からMontpellierの会場まで1時間半強。開場が午前8時なので7時くらいには着きたいと5時半に家を出る。Avignonを通り抜けRhone川をわたり、日曜日にNimesへ行ったときと同じN100号線を走り、途中からハイウェーA9に入る。夜明けにはまだ早く、空にはたくさん星が見えている。昨日の朝の冬の嵐とは打って変わって今朝は快晴。ちょうど7時前に会場入り口前の駐車場に到着。まだかなり暗い。2,3台の車が止まっているだけ。昨日のAvignonの会場とはちがい、しっかりとアスファルトで舗装され駐車場があり、見本市会場の入り口には立派なゲートもある。車を降りて一人10ユーロ(1,600円)の入場券を買いに行く。7時半を過ぎると急に車が増え、人の動きも活発になってくる。開場15分前になったので入り口に向かう。すでにかなりの人が集まっている。ずいぶん熱心な人が多いなと思いながら、一緒になって待っていた。8時ちょうどに入り口の大きなガラスのドアが開いた。おもむろにみんなが会場内のさまざまな方向に向かって走り出した。早い者勝ちの掘り出し物があちらこちらにあるのだろうか、と思った。ところが、一番近くの屋内会場に入ると、まだブースらしきものは何もない。ただ、ディーラー達がホールの中の割り当てられたスペースに行儀よく車を止めて、ハッチが開けられた大型ヴァンから時間を惜しむように、大急ぎで持ってきた展示品を手際よく並べていく。さっき一緒に会場の入り口で並んでいた人の顔も見える。ああ、あの人たちは見せる側の人たちだったのか。要するに、開場の8時前にはセキュリティーを除いて会場には誰も入れず、8時の開場で一気に見せる側も、見る側も入場させる規定テキスト ボックス:    Montpellier−Journees Professionnelles Internationales de l'Antiquite et de la Brocante  なのである。それにしても、見せる側の人たちの動きは実に早い。5分ほどで、展示スペースはいろいろなアンティークで一杯になる。ただ一杯にしただけではない。見事にディスプレイされている。この才能は昨日のAvignonのマーケットでも見た。生まれつきの才能もあるだろうが、子供の頃から、ディーラーの親達を見ながら育っているのだろう。そういえば、さっき入り口で開場を待っていたとき、大人に混じって、何人かの子供を見かけた。何でこんなところに子供が、と思ったが、おそらくこの子供達が明日のアンティーク屋の候補生なのだろう。子供のころからこんなマーケットにディーラーである親達といっしょに来て、商売のやり方やアンティークの知識は勿論のこと、ディスプレイのやり方も知らず知らずのうちに身につけていくのであろう。
さて、このマーケットでの収穫は、キッチンの皿立てが2台、アイアンのベビーベッド、壁掛け式のコーヒーミルなどであった。悪くなかった。

 

 

 

会場全体の広さは昨日のAvignonより大きく、屋内会場の数も多い。売られている品物について言えば、Montpellierのほうがいくぶんカントリーなものが少ないか

 

 

 

9.小規模ながらもArlesのマーケットは楽しめる。

テキスト ボックス:    Arles − 毎月第一水曜日に開かれるアンティーク・マーケット  リネン布のディスプレイにもセンスの良さに目を見張る  今日はArles(カタカナではアルルと書くが、これをそのままフランス人に云っても絶対に通じない。日本人のお得意の『r』と『l』が重なる地名である。通じない時は、書いて相手に見せましょう!)でアンティーク・マーケットが開かれる。このマーケットは月一回、毎月の第一水曜日に開かれる。Arles へはAvignonの市街は通らず、CavaillonからSt. Remy de Provenceを経由して向かう。1時間半弱のドライヴである。

Arlesのマーケットは去年プロヴァンスに来たとき、下調べが不十分で、開催日にArlesに来ていながら、見損なったマーケット。

今回は見逃すまいと早めに宿を出る。マーケットは8時からの予定だが、冬なので9時ごろから本格的に始まると思った。

8時過ぎに会場についた。思ったとおり準備の整っているブースはなかった。早めに来たせいか、車も大通りをはさんで、マーケットのすぐ反対側の路上有料駐車エリアに幸い止めることができた。

フランスの路上有料駐車はかなり頻繁にチェックされているとスミレちゃんは聞いていたので、駐車料金もちゃんと払い、半券を車のダッシュボードの上に、コントロールに来る人が良く見える場所においた。これで一安心。規定駐車時間をオーバーしない限り、車に戻ってきたら駐車違反の紙が置かれてた、ということもない。

ディーラー達は開店準備に余念がないが、私たちはその中で掘り出し物を探す。大きな家具類は見当たらない。リネンをはじめとするファブリックを扱うブースが多い。

その日、私が買った物の大半はファブリックであった。その他、バスケット、アルミニウムの鍋敷き、ワイヤーの皿立てなども購入した。マーケットの後は去年も行ったことのあるArlesで数少ないアンティーク・ショップ『Liberate Brocante』に行った。

テキスト ボックス:    Arles − アンティーク・ショップ『Liberate Brocante』。ロトの申し込み受付用カウンター  アンティーク・ショップと言ってもそれほど古いものを売っているわけではない。フランス語で言ういわゆる、BROCANTEである。50年代、60年代が中心。

オーナーは男っぽい女性。彼女は去年来た私のことを覚えていた。
内気なのか挨拶をして、ちょっと微笑んで、その後は黙ってカウンターの内側のコンピュータを見つめていた。

その時このカウンターが素晴しいものであるのに気が付いた。それはフランスのたばこ屋などで使われていたロトの申し込み受付用カウンター19)。

鉄製で非常に重く、私の店に搬入する際にかなり苦労した。数量限定生産されたものだろうが、そんなに古いものではない。

今でも使われているとおもう。それから、玩具のわりにはかなり立派な乳母車も手に入れた。

その中に乗っていたMade in Franceのミルクのみ人形を日本に連れて帰ってきた。帰ってきてこの人形を手入れしているとき、泣き声を上げることができるのにも気が付いた。

 

帰りに今朝も通った、St. Remy de Provenceの町に立ち寄った。公園では年配の男たちが(女性の姿はない)ペタンクという日本のおはじきのルールに似テキスト ボックス:  Arles − 玩具のわりにはかなり立派な乳母車も手に入れた。    た金属球を使ったスポーツに興じている。ルールがわからない私たちには恐ろしく退屈に見える。

このスポーツの雰囲気を詳しく知りたい方はピーター・メイル著「南仏プロヴァンスの12か月」7月の章を参考にしていただきたい。南フランスで生まれたスポーツらしさがよく伝わってくる。


そして、Mollegesの例のアンティーク・モールで土曜日にホールドしてもらっていたものをすべて購入し、戸外に出ているシャッター(鎧戸)もピックアップの業者が来るまで、店内に入れておいて欲しいと頼んでおいた。

その次の日、偶然この店の前を通ったので、その戸外に出ているシャッターがどうなったか見てみると、ちゃんと店内に取り込んであった。

当たり前かもしれないが、店主が私との約束を守ってくれたのがうれしかったし、ホッとした。

注19)フランス映画『いつか、きっと 』(2000年)のキオスクの場面に登場する。


 

10.せっかくはるばるやって来たのに
テキスト ボックス:    St. Martin-de-Valguagus−『私たちのおばあちゃんのリネンが私たちにお話してくれる?』と銘打ったイヴェントは全く期待外れ!  今日はSt. Martin de Valguagusという町で『Si le linge de nos grands meres nous etait conte』(直訳すれば:私たちのおばあちゃんのリネンが私たちにお話してくれる?)というイヴェントが午前10時からあるので出かけてみることにする。ショーの名前から察すると、要するに昔のリネンのイヴェントだろうと期待する。ここはAvignonから北西に60kmぐらいのところにある小さな町。日曜日にNimesに行ったが、途中のA9のICがあるところまでは同じ道。そこから先はUzesを経由していく。道のりは約1時間半と見て8時に出発する。今日もいい天気だ。A9のICをすぎたあたりから、AntiqutesとBrocanteの看板を4つ見た。よし帰りによっていこう、どうせ開店は早くて10時だし。道の両側はほとんどブドウ畑。Uzesにはいる前も、Uzesをすぎた後もブドウ畑。初夏になってブドウの葉の新緑のころはさぞ美しいだろうと思う。9時半に会場と思われる建物の前に着く。新築の建物だ。車もあまり来ていない。入口のドアを開けると、マロンのケーキとか、栗の花の蜂蜜とか、とにかくマロンを使った食べ物が並んでいる。ケーキの値段を見て驚いた1個4ユーロ(約¥640)!!すぐに会場に入る。あまり大きくない体育館だ。折りたたんであるバスケットボールのゴールと観客席が見える。中を回ってみると、古いリネンを販売しているのは3店だけ。後はすべて創作ばかり。その創作も別に古いリネン布を使っているわけでもない。がっかり。古いリネンを売っているところにいってリネンのドレスやエプロンを買って、30分あまりで出てきてしまった。こんなに遠くまで来て、と思うとちょっとやりきれない。気を取り直して、さっききたばかりの道をAvignon方向に引き返えし、Uzesに向かうことにした。
Uzesの町に入ると、まず一方通行の旧市街を囲んでいる一周道路を走ってみる。このあたりの古くて少し大きい町ならこのような一周道路がだいたいある。この一周道路の内側が昔の本当の町であったのだろう。二周目で地下駐車場に入り、車を置いて外に出てみると目の前にアンティーク・ショップがあった。結構大きな店である。入って驚いた。ホウロウのキャニスター、シェルフ、ダイニング・テーブル、プロヴァンス・キルトやその他ファブリック類、カフェ・オ・レ・ボウルなどなど。しかし、店員がいない。『ボンジューア』と叫んでも誰も来ない。ノンキな店もあったものだと感心する。勝手にウロウロと見て回っているうちにやっと店員が現れた。イタリア人かスペイン人の顔つきをしている。いろいろ話を聞いているうちに、ここはモールだということがわかってきた。『これ安くならない?』と聞くと、『ここは自分のお店ではないから、持ち主に電話をしてみる』とか、『持ち主は今アメリカでヴァカンスだから連絡が取れない』とか、『ここはあいつの店だから今呼んでくる』とか。『これは安くするよ!だって、これは俺の店だからな!』という調子である。3時間ほどゆっくりこの店で楽しませてもらい、いろいろ購入した。買い物の後は購入したものをこの店に預けておいて、町の様子を見に行った。
テキスト ボックス:    Uzes−フランスで犬糞処理術最先端を行く町  この店を出る前に他にアンティーク・ショップはないかと尋ねると、丁寧に場所を教えてくれた。4ヵ所ほど回ってムッシュー・レナルドのお勧めは間違っていなかったことに気が付き、彼に感謝した。アンティーク・ショップだけでなく、町の中心部の古い建物や石畳が昔のままに保存されており、非常によく手入れされていた。
更に、もう一つのことに気がついた。ほかの町と何かが違う。なんとなくきれいなのだ。あるものが非常に少なくてきれいなのだ。犬のフンがほとんど転がっていないのである。転がっていないどころか、町のいたるところにとは言わないが、所々に、犬のフンを入れるための無料のプラスティック袋のディスペンサーが立っている。写真のように袋が引っ張り出せるようになっていて、下は使用済みの袋を入れる箱も付いていた。フランスにこんな町もあったのだと、私は感心してしまった。

まりあから一言<6>
日本人が世界に誇れるもの
フランスは素晴しい!しかし、素晴しくないこともある。私たちの町Pernes les Fontainesでも、L’isle sur la Sorgueでも、Avignonでも、プロヴァンスのほかの町でも、そして、みんなが憧れるParisでもいやなことが一つある。街並みの美しさに見とれて足元に気をつけていなと、、、、、、ここまで言えばおわかりであろう。そう、犬のフンのこと。街にころがる、あるいは、踏み潰された。なぜ、フランス人はこのことに無関心なのだろう?不潔極まりないのに!このフン害はフランスだけの問題と言うより、どうもヨーロッパの問題でもありそうだ。ヨーロッパ各国の犬フン対策はすこしづつ違うようだが、あまり改善されていないのが現状であろう。その点では日本最先進国である。袋とティッシュとスコップを持って犬の散歩をする人が多いのは、大変結構なことである。日本人のフン処理術は世界に誇るべきものである。フランスの、そしてヨーロッパの街角からフンが消えたら、美しい街はもっと美しくなるのに。ヨーロッパ中が、世界中が日本人の犬フン処理術を見習うべきである。それにしても、日本人はいつから、どのようにしてこのすばらしい犬フン処理術の習慣を身に着けたのだろうか?
更にもう一つ、いやなことと言うよりは、悲しくなることがある。若者が朝からカフェの前のテーブルでタバコをすいながらワインなどを飲んでいるところを何度も目にしたのである。非番なのだろうか?失業中の憂さ晴らしなのだろうか?ご存知のように、最近フランスでも公共の場での喫煙は全面的に禁止になった。そのせいでカフェの中でタバコがすえないので、今までならカフェの中で飲んでいたワインもついでに外に持ってきているのだろう。だからそんな光景が余計に目に付くのだ。15歳から24歳までの若者の失業率は依然として20%を超える。失業問題についてここで述べるつもりはないが、良い解決法のない大きな社会問題である。

 

 

11.Lyon遠征記
テキスト ボックス:    Lyon−Puce du Canal、冬は暗闇の中で商売が始まる。懐中電灯持参をお忘れなく。  やはりここまで来たのだから、毎日曜日のLyon VilleurbanneのPuces du Canalのマーケットに行ってみることにした。このマーケットは毎週日曜日朝6時から午後1時まで。名前の通り運河沿いの蚤の市である。LyonまでPernes les Fontainesから200km強。私たちは午前4時前に出発した。かなり冷え込んでいるものの、天気は快晴。文句無し。ハイウェーは日曜早朝のこともあり交通量は非常に少ない。しかし、スミレちゃんは『昼間こんな天気ならボンボン飛ばせるけど、やはりフランスのハイウェーの最高制限速度130km/hを守ってるの。しかも、かなり寒い冬の朝だから、どこで道がツルツルになっているかわからない。外国での事故はかなり厄介だからいつも安全走行することに決めてるの!』と言っている。Lyonに近くなるとハイウェーに行き先表示板にはじめてParisの文字が出てきた。LyonからParisまで500km足らずのようだ。約5、6時間位か?ちょっと行ってみたい気にもなる。
さて、時計を見ると6時少し前。Puces du Canalに近づいたことはなんとなくわかったのだが、別に交通量が増えるわけでもないし、そこを目指す人たちがぞろぞろと歩いているわけでもない。果たして、この道で合っているのかどうか、とスミレちゃんと話していると、突然暗闇にのなかでセキュリティーの人が交通整理をしているのを見つけた。彼は私たちを見ると、『店を出すの?』と聞く。『見に来たの!』と返答すると、左に行けという。その言葉に従って、ゆっくり走っていくと、今度は焚き火が見えてきた。そこでは中年の女性が駐車代を徴収していた。寒さの中でのかなりきつい仕事だ。それでも、車一台一台に心から『Bonjour! Cava?』(おはよう!元気?)と非常に愛想よく挨拶をしている。駐車している車は少なく、会場に一番近いところに車を止めることができた。会場は屋内・外。出店総数はパンフレットによれば、約400店とのことである。一斗缶のなかに火をおこして焚き火にしているディーラーがいる。その焚き火のそばに何人か集まっておしゃべりをしている。そして、ここにもこんな朝早くからワイングラスを手にしている人もいる。しかし、寒いと言って、手をこすったり、体をゆすっている人は誰もいない。おそらくアンティーク談義にふけっているのであろう。真っ暗闇の中のマーケットなので、懐中電灯を持って一軒一軒回っているお客さんもかなり多い。残念ながら私たちは懐中電灯を持ってこなかった。真っ暗闇の中のマーケットなど全く考えていなかった。懐中電灯を売っているブースもあった。昼間のマーケットに慣れた私にはたいへん奇妙な光景である。懐中電灯をたより品物を一つ一つ見ている人を観察していると、果して品定めはうまくいくのだろうか?私は暗闇の中で、あるディーラーのブルー・シートの上にカフェ・オ・レ・ボウルがいくつか並んでいるのを見つけたが、懐中電灯がないので、何色なのか、状態はどうなのか、品定めが全くできない。と、その時、そこのディーラーの若者が懐中電灯を差し出してくれた。なんと親切なことか!そのおかげで素晴らしいボウルを4個買うことができた。でも、寒い、本当に寒い!靴の底から冷えてくる。水がたまっているところには氷が張っている。やはり、プロヴァンスから200km北に来ただけはある。天気は快晴。たくさんの星が見えている。だから放射冷却がどんどん進み寒くなる。にもかかわらず、寒そうにしているのは、私たちだけ。売る人も、買う人も寒さなど全く気にせずに、楽しそうだ。私たちは寒さをのがれようと、今度は屋内会場に入る。しかし、入口がどこも大きく開いているので、全然暖かくない。しかも、時間がまだ早いので屋内の壁で一つ一つ区切られた常設のブースはすべて閉まっている。ガラス戸越しに中が見えるブースもある。このようなブースが屋内の会場には80店ほどあるそうで、ここは木曜日と土曜日も営業している。ホウロウやファブリックがあふれている店もいくつかあった。
また外に出て暗闇のマーケットを回っていると、人が行列している暖かそうなカフェが目に入った。並んでいる人はみな楽しそうに順番を待っている。店内は決して広くない。大体4mx5m。20uくらいしかないと思う。そこにカフェ・テーブルが6台。椅子が15脚くらい。奥の壁に沿って、中央にエスプレッソマシンが、左にさまざまのパンがのせてある棚、右には冷蔵庫があり、クロワッサン等のパンやケーキ類をのせたテーブルがその前にある。そのエスプレッソマシンとテーブルの間で若い女性の店員二人が大盛況の中でもあわてることもなく、イライラせずに慣れた動きで接客をしている。わざとらしい挨拶もなく、心から『お早うございます!何になさいますか?他に何か?』と接客している。日本でしばしば出会う、店員の心がこもっていないマニュアル通りの接客マナーが、ここではまったく見られない。彼女たちがセカセカせず、リラックスしながら楽しんで働いているように見えるのは、なぜなのだろうか?ときどき、常連のお客さんなのだろう、彼女らと親しく話している。まるでフランス映画の一コマを見ているようだった。店内にはアンティーク・マーケットのカフェらしく,あちらこちらにアンティークも飾ってある。
私たちもコーヒーとクロワッサン、そして勉強のためにレーズンロールのような菓子パンを買い、テーブルについて心から雰囲気とコーヒーを味わう。コーヒーとパンの香りが素晴しい。ここのクロワッサンやレーズンロールはごく普通の精白小麦粉を使っているはずだが、実に美味しい!冷え切った体にはこのコーヒーとパンの味は格別である。値段も普通。コーヒー一杯(ここフランスではコーヒーと言えばエスプレッソのことのようだ)が1ユーロ30(210円位)。日本でのエスプレッソは高い。普通のブレンド・コーヒーでも安くて230円位はするだろう。このカフェから一歩も動きたくなくなった。
典型的なフランスの朝食であるクロワッサン一個とコーヒーだけ買っていく人もいれば、バゲットを10本も20本も買っていくお客さんもいる。大きなカンパニューを1個買っていくお客さんもいる。クロワッサンをまとめ買いする人もいる。自分たちのブースで、みんなと一緒に朝食をするのだろうか。それとも、ブースで小さなパーティーでもするだろうか。ブースで小さなパーティーをするのはここLyonだけではない、L’isle sur la Sorgueでも、Avignonでも、Montpellierでも、昼間からCamembertらしきチーズとバゲットとワインとでパーティーをやっているディーラー達をたくさん見た。そんな人たちのブースに行くと上機嫌で、かなり安くしてくれるときもあった。質問をすると、答えがワインの匂いと一緒に出てくるときもあった。でも、こんな調子で一杯機嫌になって、閉店後はどうやって帰宅するのだろう。フランスどこでもそうなのかもしれないが、プロヴァンスでも狭い道も、車を飛ばす。だいたい90km/hは出している。死亡事故があったところの道路脇に花束が手向けられているのをよく見かけた。ワインといえば、フランス。フランスといえば、ワイン。ワインはフランス人にとっては水のようなもの。しかし、取締りはもっと厳しくして欲しい。厳しくしても、し過ぎることはない。ドライバー一人だけの命なら、『どうぞご自由に! 死んでもいいですよ!』というが、他の人を巻き込むこともしばしばあるのだから、自分の行動にもっと責任を持ってほしい!これは世界共通の運転マナーである。

話を元に戻そう。7時半頃になるとやっと東の空が明るくなり始め、懐中電灯を持ってうろうろする人々はいなくなってしまった。さあ、これから本番である。
ParisのClignancourtのマーケットの規模には勿論及ばないが、価格の方は非常に魅力的だ。そして、L’isle sur la Sorgueの毎週日曜日のマーケットよりずっと気取らず、親しみやすい。屋内会場で先日のAvignonのMarche d’unjourで知り合ったファブリックを売っていたマダム・イヴェットの店を見つけた。彼女は私のことに気がつくと、うれしそうにやってきてフランス流のあいさつを右と左にした。こんなに歓迎されたら、こりゃなんか買わなくちゃ、とおもっていると、昨日、L’isle sur la Sorgueの彼女の競争相手のマダム・フランシーヌの店で、かなり高く売っていた古いリネン布をずっと格安に手に入れることができた。
ここのディーラーたちは非常に気さくで、とんでもない値段の交渉でも嫌な顔一つせずに私の話を聞いてくれる。ParisやL’isle sur la Sorgueのディーラーよりも、ずっと優しく、好感が持てる。
ここで少し値切り交渉について書いてみる。彼らは値切りになれている(但し、Niceや Cannesのディーラーは、後にも書くが、値切りは知らないようだ)。勿論、値切り交渉には勇気がいる。しかし、馬鹿にされるのでは、とか、殺されるのではとびくびくしながら値踏みをしても、相手にされない。ディーラーの顔色を見ながら、ご機嫌を見ながら言ってみる。タイミングもある。これだけのテクニックをうまく操って値切り交渉に臨むことになるが、やはり、場慣れが必要だ。あたってくだけろ!ダメもとでもいい!努力して経験を積むことだ。そして、時にはディーラーの提示した金額の半額を吹っかけてみてはいかがだろう。結構うまく行くかもしれない。自分にそんな新しい才能があることに気がつくかもしれない。お試しあれ。
ところで、このマーケットは朝6時から午後1時までと書いたが,11時くらいになると、そろそろ店じまいを始めるブースが出てくる。午後1時ぎりぎりまでやっているところは、私が見た限りではなかった。今日は日曜日。早く家族のところ、恋人のところに帰って、きっとゆっくりワインでも飲んでくつろぎたいのだろう。私たちも買ってきたものを車に積み込む。いや詰め込むといったほうがよかったと思う。持ち手がついた鍋を5個も、6個も掛けられる大きなパインのキッチン・シェルフも買ってしまった。これを小さなCITROENに入れるのにかなり苦労した。しかし、私たちが小さな車に買ったものを四苦八苦して詰め込んでいるのを野次馬根性でジロジロ見たりする人は一人もいなかった。このようなことはアンティーク・マーケットではよくあることだ。どうやっても、この棚が大き過ぎて車のハッチが閉まらない。この棚を買ったブースに戻って、大柄で優しい目をした白髪の店主に紐はないかとたずねると、締め金具の付いた荷台用の立派なベルトを持ってきた。優しい!気前がいい!私は普通の紐が1メートル位出てくるものと思っていた。。後日、L’isle sur la Sorgueのホームセンターで同じようなものを見つけたので値段を見ると、なんと16ユーロもしていた。このおおらかさ、気前の良さで更にフランス人にプラス・ポイント。ハッチはちゃんと閉めることはできなかったが、このベルトのおかげで、ハッチも荷物はびくともせず、ハイウェーを無事200km帰ることができた。
LyonのPuce du Canalのアンティーク・マーケットはL’isle sur la Sorgueの気取ったマーケットとは全く違い、大きな家具から小物まで、立派なアンティークから価値のないリサイクル品まで、何でもあるマーケットであった。私たちはこのマーケットがすっかり気に入り、その次の週も続けて出かけてしまった。Carpentrasの日曜のマーケットもそれなりによかったが、やはりフランス第二の都市Lyonのマーケットは迫力があった。

まりあから一言<7>
フランス人にとってカフェとは
フランス人にとってカフェは、あわただしく、混沌とした現世から逃避する場所のように私には思える。自分の家にいるようにテーブルの前に座り、自分の家にいるようにコーヒーを飲む。自分の家にいるように新聞や本を読む。自分の家にいるように会話を楽しむ。とにかく、フランス人はコーヒーを味わいながら、ゆっくりと雰囲気を楽しみながら、リラックスしているように思える。
ある日、私たちは1時間以上カフェに座り、フランス人のカフェでのすごし方を観察しようとした。とあるカフェに入って『デュ・カフェ・シルヴプレ!』といった。テーブルにはプロヴァンス布がかけてある。お店には私たち以外に女性客が一人、店主夫妻とおしゃべりをしているだけであった。静かに音楽が鳴っている。しかし、店主たちのしゃべり声は全く気にならない。なぜだろう?どうやらフランス女性の声は日本人女性の声に比べて、一オクターブ低いようだ。皆、アルトで話をする(?!)。笑い声も低い。そして、馬鹿笑いはない。コーヒーが空気のせいか、水のせいか、とてもおいしい。コーヒーにビスケットとココアのクッキーがついてきた。コーヒーは主人が入れてくれた。奥さんは女性客とまだ何やら一生懸命話し続け、いっこうに終わらない。時々主人が口をはさむ。フランス人は一杯のコーヒーで大いに楽しむことができる民族ようだ。せかせかしない、落ち着いた国民気質のせいであろう。冷めてしまったコーヒーが気にならないのだろうか?
また、ある日こんな光景も見た。カウンターである老人が新聞を立ち読みしていた。そのときはコーヒーではなく、ビールを飲んでいた。ウェイターはお客さんが少ないので、彼も新聞を読んでいた。ちょうど30分ぐらいたったころ、その老人のところにムギワラ帽をかぶった老婆が近づいてきた。そして、そのムギワラ帽を彼にかぶせた。夫婦のようだった。主人は奥さんになにやら新聞を読んで聞かせていた。コップ一杯のビールだけで自分の家のリヴィングにいるように振舞っていた。若い人は若い人なりに、中年は中年なりに、そして、老人は老人なりにカフェの中で自分の家のリヴィングにいるように振舞っていた。今までの私の人生の中で彼らようにリラックスしたことも、リラックスさせてもらったことも残念ながら、一度もない。

12.FRENCH REVIERA(Cote d’Azur)遠征記
テキスト ボックス:    Nice − 毎週月曜日早朝のアンティーク・マーケット。ゲートの向こうに地中海が見えている。  今日も早起き!また、三文の徳になるだろうか?昨日と同じように午前4時出発。昨日のLyonとは全く反対の方向へ。FRENCH REVIERA(Cote d’Azur)のNiceの月曜朝恒例のアンティーク・マーケットに行く。昨日の朝、Lyonへのハイウェーでは、トラックは非常に少なかったが、月曜日の今日は早朝から交通量はかなり多い。しかも、長距離トラックが大半である。ハイウェーA7からマルセイユの手前で、A8に乗り換え7時半頃、Niceに到着した。マーケットの会場が分からずウロウロし,地中海沿いの海岸通りを走っていると水平線を朝日が昇ってきた。この海岸通りの街並みはプロヴァンスの内陸部の町や村のそれとは全く違う。特に高層のコンクリートのホテルや別荘マンション群は,ゴージャス嫌いな私にとっては全くつまらなく、不愉快な存在であった。
やっと見つけたアンティーク・マーケットは昨日のLyonのマーケットとは全く違う雰囲気。会場となっている大きな広場は舗装されていて、水が打たれ、きれいに掃除されている。ところどころにある広場のゲートの向こうには地中海がのぞいている。ほとんどのブースはテント布の屋根付きである。さて肝心の売られている品物はというと???ショックである。ガソリン代、ハイウェー通行料金のことを考えると、なんでこんなところにわざわざ来たのだろうと、悲しくなってしまった。私が探している素朴なカントゥリー・アンティークはほとんどなかった。土地柄かもしれないが、ゴージャスで飾り気が多いものが大半を占めていた。値段も勿論、高い。『もう二度来るもんか!』と心に誓ったが、せかっくここまできたのだから、まあちょっと見ておくかと会場を回り始める。それから気が付いたことは、大きいものは皆無。家具など全くない。その代わりにアクセサリー類など、小物が非常に多かった。アクセサリーをお探しの方にはお勧めだ。それと、ディーラーの大半が無愛想で、観光客ずれしているように思えた。なにもかもが昨日のLyonと正反対であった。ここでの収穫は、イソップの『キツネとブドウ』、『ライオンとねずみ』などの話が描かれているそれほど古くない子供用のガラスのコップを4個。ステンシルで描かれた模様のあるお皿を数枚。それに、ファブリック類少々。極めて少量であった。
Niceの後は、ここまで来たのだからと、Cannesにいってみる。ここでも毎週月曜朝に市営の市場でアンティーク・マーケットが開かれる。きれいに清掃された屋内市場には魚の市が立つ日に活魚を入れるタイル張りの水槽もあった。並べられている品物は予想通り高い。勿論、気位の高さもNiceと変わらない。値引き交渉を挑むが、軽蔑の眼で見られてしまった。さすがの私も会場から尻尾を巻いて早々に逃げ出す。
その後、Cannesの繁華街を歩いてみる。小さな子供を腕に抱いた、少し肌の色の黒い外国人の若い母親が二人の警官に身分証明書を提示しているところを目にした。彼女がどこの国から来ているのかだいたい見当がついたが、ここでは敢えて書かない。金持ちの多いところにはこういう人々も集まってくる。
テキスト ボックス:    Grasse − 香水の町で偶然見つけた”BROCANTE”. あまり古いものは無かったが、NiceやCannesのマーケットよりはまし。       Cannesのマーケットにもうんざりだったが、どうしてもこのまま帰りたくなかったので、スミレちゃんに気の向くまま車を走らせてもらった。道路の両側には黄色い鮮やかな花をたわわにつけて咲いているミモザの大きな木があちらこちらにある。それをみると地中海まで来たな、という気がしてきた。
しばらく走ると、車の中に香水の瓶を倒したような匂いが充満してきた。最初はスミレちゃんのバッグの中で香水でもこぼれたのではないのかと思うほど強烈な匂いがした。しかし、町の入り口に立っていた表示板で、この町が香水産業のメッカとしてよく知られているGrasse注20)であることがわかった。この町は、18世紀終わり頃から香水の製造が盛んとなり、今では30社ほどの香水メーカーがあり、フランスの香水・香料の2/3がここで作られているそうである。道端の建物の中にぴかぴかに磨いた銅製の香水の蒸留装置を置いて、工場の内部を見せている香水の会社もあった。もし、私がここに住んでいたら、鼻がおかしくなるか、一年中頭痛に悩まされるのではないだろうか、などと思っていると。その時、突然ある文字が目に入った。『BROCANTE』の文字と矢印だった。早速その看板の矢印の方向に車を走らせる。そして、行き着いた先は昨日まで温室だったような建物の前だった。車を降りて中に入ると、残念ながらそこは80%がリサイクルであった。しかし、そこのオーナーとおぼしき中年のおじさんは非常に愛想がよく、私たちがNiceやCannesのアンティーク・マーケットの話をすると、あそこはお金持ちと観光客相手のマーケットだと言われてしまった。ここでは、それほど古くない、レストランウェアのかなり重いお皿を買った。でも、ゴージャス嫌いな私にはこの温室のリサイクル・ショップほうがNiceやCannesよりもずっとリラックスして、買い物ができた。

注20)独・仏・西合作映画『パヒューム』(ベン・ウィショーダスティン・ホフマン、2006年公開)はパトリック・ジュースキントの「香水 ある人殺しの物語」を映画化したもの。18世紀のParisとGrasseが舞台になっている。但し、この映画自体はかなりグロテスク。

13.マーシャル夫妻がうらやましい
久しぶりによく寝た。午前8時起床。今日も寒いがいい天気。しかし、まだ霜が降りている。いつになったら少し暖かくなるのだろう。
午前10時に私たちの町Pernes les Fontainesで毎週水曜日午前中に開かれるアンティーク・マーケットに行ってみた。先々週の水曜日にここをのぞいて見たが、ただのリサイクル・マーケットと変わらなかったので、がっかりしてしまったことをよく覚えていた。今日もまたそんなところだろうと、期待もせずいってみると、今日は全く違う。もちろんリサイクル屋さんもいたが。立派なアンティークを売っているディーラーもいた。そして、パインの小学校の机とオフィス用の回転椅子、珍しいシンクなどを買ってしまった。思わぬ収穫であった。

午後は2時半にアメリカ人のマーシャル夫妻とL’isle sur la Sorgueで待ち合わせているが、少し時間に余裕があったので、その前に私の住んでいるところの裏の畑の方を15分ほど散歩した。狭い未舗装の道を通って行くと、日本とあまりかわらない、大して掃除の行き届いていない庭に囲まれた家があった。そこを過ぎると白い馬が1頭広い柵の中で放し飼いにされていた。私たちに気付いてこちらの方にゆっくり向かってくる。道にはタンポポとは少し違う黄色の花が咲いている。薄紫色の小さな花をつけている植物もたくさんある。道の両側の畑には何かが行儀よく並べて植えられている。今は冬、そこに植えられている植物は枝だけだったので、どんな植物なのか見当も付かなかった。テキスト ボックス:    畑の奥に小さな廃墟が立っているのが見えてきた。近くまでいってみると、すでに屋根が抜けているのがわかった。   その畑の奥に小さな廃墟が立っているのが見えてきた。近くまでいってみると、すでに屋根が抜けているのがわかった。ガラスの割れた窓が開いていたので、そこから中をのぞいてみると、暖炉の跡があった。こんな小さな家にも暖炉があったのだ。棚もある。壁掛け式ではなく、壁の中にはめ込まれている棚であった。どんな人が住んでいたのだろう。開け放たれた窓わきの壁に、フランス語で書かれた落書きがあり、1949とか1953とかの数字が書かれているのはわかった。きっと他愛のないことが書かれているのだろうが、興味がある。フランス語が少しできるスミレちゃんも解読を試みたがやはり無理だった。この家はいつ頃空き家になってしまったのだろうか。家の前には枯れ井戸もあった。下をのぞき込むが底までは暗くて見えなかった。小石を落としてみたが、底に水がある音はしなかった。気がつくとすでに2時を過ぎていた。あわてて家に戻り、着替えて約束の時間に間に合うように車に乗った。

L’isle sur la Sorgueで待ち合わせているのは、私が3年前アメリカ東部にアンティークを探し行った時に知り合ったマーシャル夫妻。夫妻はアメリカ合衆国東部メイン州のWiscassettという小さな港町から来ている。奥さんスーザンはその町でアンティーク・ショップとB&Bを経営している。また、ご主人パットは建築設計が専門だが、プロヴァンス風の『TREAT』という食品店(昨年売却したそうだが)を、奥さんのアンティーク・ショップと道をはさんだ筋向いに持っていた。毎年、クリスマス直後にプロヴァンスのBonneixに来て、築800年にもなるアパート(?)で翌年5月初めまで滞在する。冬の間、非常に寒さが厳しいカナダの国境に近いメイン州にある自宅には、お客さんも来ず、商売にならないので、プロヴァンスの第二の自宅に来て、夏にアメリカの自宅で売るアンティークをプロヴァンスの各地で探し、アメリカに送っている。また、このアパートの中のいくつかの部屋を、主にアメリカ人向けにB&B一年を通して経営している。

 


テキスト ボックス:    遠くの山の上に中世のような村が見えてきた。どうやらそれがBonnieuxの村らしい。     二人のセンスは抜群で、アメリカの自宅ショップ売っているアンティークは勿論のこと、ショップの内も、外も素晴しいディスプレイが施されていた。そして、プロヴァンスのこのアパートの中のインテリアも非常に素晴しかった。今日はその二人にアフタヌーンティーの招待を受け、奥さんのスーザンが『世界で一番のおいしいアイスクリームが食べられる』と言うL’isle sur la Sorgueの『Isabella』でまず待ち合わせた。約束の時間午後2時半にちょうどに二人が腕を組んでSorgue川の橋をわたって、こちらに歩いてくるのを見つけて手を振った。2年半ぶりの再会である。二人ともオシャレで、相変わらず細身。全く変わっていない。とても幸せそうに見える。お互いに近況報告をし、弱いドルと強すぎるユーロの話をしたり、アメリカ大統領の話をしたり、リネンの話をしたり、アンティークの話をしたり、と、話題は尽きなかった。話に一区切りがついたところで、Bonnieuxにある第二の自宅に向かう。ご主人のパットの車の後からついて行く。N100号線をApt市方向に向かう。途中でN100号線を降りて田舎道を走るが、前述したイギリスの作家ピーター・メイルが住んでいたMenerbesの村の下も通った。Montagne du Luberonの北側の山ろくにブドウ畑の続く美しい道だ。美しすぎると言ったほうがよいだろう。遠くの山の上に中世のような村が見えてきた。どうやらそれがBonnieuxの村らしい。J.S.Bachのイタリア協奏曲の似合う風景である。アメリカで車に乗った時は、国のスケールの違いか、あのどこまでも続く小麦畑やトウモロコシ畑の異常なまでの広さにカントリー・ミュージックがよく合った。フランスではカントリー・ミュージックを聞く気が全然しない。カントリー・ミュージックの好きな方には申し訳ないが、あの粗雑さが、フランス、いや、ヨーロッパの繊細さには合わないような気がする。と言って、シャンソンをプロヴァンスの自然の中や村や町の中で聞く気にはならなかった。シャンソンはパリとか、どこか街のカフェで聞くのが良いのかもしれない。プロヴァンスではやはりバロックとか、Bachとか、Mozartとか、Chopinのようなクラシックがよく合うと、私は思う。でも、これはあくまでも私見。人それぞれ趣味嗜好が違うのでこの話はこの辺で。さて、岩山の上にあるBonnieuxに近づくにつれ道が狭くなり、急になってきた。マーシャル夫妻はどんな家を見せてくれるのだろうか?Bonnieuxは中世から何も変わっていないようなテキスト ボックス:    Bonnieux − アメリカ人マーシャル夫妻の家のキッチン  村である。小さな駐車場に車を置き、徒歩で彼らの家に向かう。20mもいかないうちに、ご主人のパットが大きなグレーの古いドアの前で立ち止まり『ここだよ、私たちの家は!』といいポケットから古びた大きな鍵を出した。彼がその鍵を鍵穴の差込み、ドアを開けようとすると、新しい家のドアを開ける音とは全く違う音がした。ドアを開けるとそこには歴史の匂いと共にサラミを作ったときのような燻製の匂いがした。スーザンはここでは燻製のようなものは作っていないといっていたが、昔の住人はサラミを作っていたのかもしれない。ここは貴族が住んでいたような立派なお城ではなく、あくまでも当時の庶民が住んでいた2階立ての住宅のように思える。そして、複数の家族が住んでいたのかもしれない。この辺りで取れる砂岩を使ったと思われるゆるい階段は、各段の中央が何千回、いや何万回以上も踏まれて磨り減っている。日本ならどこかの古い神社仏閣の境内の階段によく見られる感じだ。その階段を上りきり、黒いドアを開けると、そこは大きなダイニングキッチンになっていた。マーシャル夫妻のセンスのすべてが凝縮されているインテリアに圧倒されてしまった。天井に届くほどの背の高いキッチン・キャビネットとベージュと黒のタイルを市松模様に貼った水周りの壁、そして、濃いグリーンに塗られた木製のテーブルの上に、テーブルの天板と同じ大きさの黒の大理石のボードを乗せたワーキング・テーブルが印象的。丸いダイニング・テーブルにはリネンのドラ(シーツ)がかけられている。

 

 

 

 

 

 

 

テキスト ボックス:    Bonnieux − アメリカ人マーシャル夫妻の家のダイニング。集めたアンティークの鏡が暖炉の上にのせてある。
パットが地下室を見せてくれるというので付いていった。彼が言うには、この地下室には500年以上も前は人が住んでいたという。よく見ると、暗い部屋の砂岩の壁の上の方に溝がついている。ここに人が住んでいた頃には、雨水がこの溝を伝って同じ壁を掘って作りつけられた水槽に流れ込み、飲料用として溜められていた、ということだ。そして、Bonnieux(カトリック系)は隣村のLacoste(プロテスタント系)と宗教戦争をよく起こし、この家はその時の隠れ家にもなっていたこともパットは説明してくれた。500年以上も前のことに思いをはせながら、上に戻った。
この家は山腹に立てられている。リヴィングルームに入ると、最初に目に入ったのが、大きな窓から見える景色だった。そこからはMontagne du Luberonの山並みが谷を挟んで間近に見えた。絶景である。リヴィングの中には、昔修道院で使われていたものという長いテーブルと長いベンチが置いてあり、この眺望を見ながらの食事やコーヒーは想像しただけでも素晴しい。他の部屋もみせてもらったが、なんだか天国にいるような、この世にいるとは思えないような静けさと落ち着きがあった。

帰りの車の中でも、私たちの興奮は冷めやらない。スミレちゃんはあんな立派な家でなくてもいいから、似た家が欲しいと言っていた。でも、どうやってあんな物件を見つけたのだろうか?マーシャル夫妻はもう20年来毎年プロヴァンスに来ているという。あんな家が私のものであったら、いや、想像もできない。あまりにもすべてが自分の世界からかけ離れている。やはり、あそこはこの世の天国だったので はないのだろうか?

 

 

 

14.郵便局 - プロヴァンスのスロー・ライフ
午前中に2回目の日本向けの小包を梱包する。もらってきた大きめの段ボールにリネン布やお皿(大丈夫かなあ)などを詰め込んだ。お隣から借りてきた体重計で量ろうとするが重くて箱が持ち上がらない。二人でやっとのことで量るとリミットの30kgを200gくらいオーバーしているようだった。まあ、郵便局に一応持って行って、運試しをすることになった。
午後3時過ぎにPernes les Fontainesの郵便局に運び込んだ。しかし、重いし、大き過ぎて、カウンターの窓口を通らない。女性局員が横の職員専用の入り口に持って行ってくれという。男性の職員が出てきて軽々と持ち上げ、ハカリの上に載せる。O.K.だそうだ。そして、また窓口に戻り料金を払うことになった。重さを聞くと、なんと重さは29.60kg。『やった!』神わざである。我ながら感心する。しかし、今度は支払いのために、局員に渡した私のクレジットカードが読み取り機で読み取れない。隣の窓口で接客していた局員も来て、ああでもないこうでもないと手伝っている。カードの取扱説明書まで持ってきて奮闘している。私の後ろには、勿論、あとから来たお客さんがかなり待っている。それでもかまわない。しかも、全く焦った様子はない。待っているお客さんも落ち着いている。日本の郵便局なら局員は、勿論、後ろで順番を待つお客さんも、とっくにいらいらしていただろう。やっとのことでカードが読めた。支払いを済ませ.『Au revoir!−オーヴォア!』『オーヴォア! Merci!−メアシ!』かなりの時間がかかったが、すべての人が落ち着いていたので、うまく事は運んだ。

また、他の日に日本に絵葉書を送るためにこの郵便局へ行った。ここも女性の局員が多い。いろいろなところの観光協会にも行ったが、やはり女性の職員が多い。どこの町に行っても働く女性の姿が目立つ。男はどこに行ってしまったのだろうか?この町の郵便局は小さい。窓口も二つしかない。だから、いつも長蛇の列。しかし、局員は自分の部屋で働いているように落ち着いている。時折微笑みを浮かべるが、ほとんど仏頂面で通す。ちょっととっつきにくいが、やることはしっかりとやっている。また、客に対しての受け答えもはっきりとしている。私もかなり待たされ、じっとしていられず、もう今日は帰ろうかと何度も思った。他のお客さんはじっと何も言わず、時計をちらちら見るわけでもなく落ち着いて待っている。日本人とフランス人の習慣の違いか?日本人ももっとのんびりと落ち着いて働けばよいと思う。しかし、パリに行ったら状況は変わるかもしれない。そう、ここはプロヴァンス。スロー・ライフの真っ只中にいる。すべてがゆっくりと流れる時間の中にいる。

 

テキスト ボックス:    Fontaine de Vaucluse − レストランの床下にはSorgue川が流れている  帰国の日がだんだん近くなってきた。あと9日。でも、まだ1週間以上もある、と自分に言い聞かせ、慰める。それでもやはりさびしい。この近くに小さな土地に小さな家を建てようか!などと夢をみる。スミレちゃんがうらやましい。Pernes les Fontainesから車で15分くらいのところにあるFontaine de Vaucluseへ向かう。こんなに近くだったのに、ここにはまだ行っていなかった。ゆるやかな上り坂を進んでいくと、突然谷間に入ってしまった。そこは水のきれいなSorgue川が流れていた。道が細いので対向車に気をつけながらゆっくり進んでいくと、谷あいの小さな町(村と言ったほうが適切だろう)に着いた。そこがFontaine de Vaucluse である。Sorgue川の岸の急な崖に張り付くように建てられた石造り家にここの人々は住んでいるようだった。乗馬の練習からちょうど帰ってきた乗馬用の長靴をはいた女の子が母親と犬と一緒に石畳の階段を上って行った。更に進むと先ほどのきれいな水の川に橋がかかっている。橋の上から見る光景はさほど広さはないが美しい。そして、少し上の方を見上げると圧倒される景色が目の中に飛び込んできた。そこには岩山の上の朽ち果てた城址、その後ろは、大きな崖がそそり立っている。高さは何メートルくらいあるだろう。クライミングが好きな人なら、登らずにはいられないような絶壁である。その絶壁のところどころには人の手によって掘られたような、自然にできたとは思えない、非常に大きい穴があいている。橋の両側にはいくつかのレストランがあり、その中の何軒かのレストランの床下には川が流れている。橋を渡り、川沿いにゆっくり登っていくと、お土産物屋さんが軒を連ねている。色がけばけばしいもの、ここでなくてもどこでも売っている、ありきたりのもの、子供だまし。とにかく趣味の悪いものの行列。お土産物屋さんは東西どこでも同じである。

 

 

テキスト ボックス:    Fontaine de Vaucluse − 中は水車の力を利用した昔の紙工場であった。

お土産物屋さんが途切れたところで、大きな水車が回っている建物に入った。中はこの水車の力を利用した昔の紙工場であった。展示スペースではこの工場の歴史や紙の製造工程を説明したパネルがあり、また、売店では、そこで生産された紙に詩、格言などいろいろ印刷して販売していた。その先に進むと、この工場の空スペースを利用して、この近辺の特産品の販売店が並んでいた。Carpentrasの名物『Berlingot』という赤やオレンジや黄に白いストライプの模様が入った三角形の小さなカラフルなミント入りボンボン(飴菓子)を実演販売している店もあった。また、この店の中のショウケースにはアンティークの価値のある昔からの化粧缶が無数に展示されていて、コレクターのよだれが出そうなものがたくさん並んでいた。Grasseの香水を売る店。セミ注20)の陶器製の壁飾り(このセミにはセンサーが内蔵されており、人などを感知すると『チチチチ。。。。。』と鳴く。スイッチ式のもあるそうだ)。セミのついたテーブルクロス留め、セミのついたナプキンリングなどを売るセミづくしの店があったり、プロヴァンス特有のきれいなプリント生地を売る店などがあった。
そこを出た時、ちょうど午後6時になり、時を知らせる教会の夕鐘の音が何とも心地よかった。

注20)プロヴァンスでは優しい声で鳴くセミが幸福のシンボルとされている

 

 

 

 

まりあから一言 <8>
二百年前にタイム・スリップ
ここにきて思ったのだが、人間と車を除けばここの生活環境はあまり昔と変わっていないのではないだろうか?ここに住む人に200年前くらいの格好をさせ、車も馬車に乗り換えてもらったら、簡単に二百年前にタイム・スリップできると思った。それくらい、街の中には古い建物が多く、それらの建物の窓枠はアルミサッシではなく木製であり、その窓には昔ながらのレースのカーテンがかけられている。日当たりが悪く狭い袋小路、2階のバルコニーのさびた手すり、古い石畳、古い公園などがいたるところに残っている。日本でこんな所がいくつ残っているだろうか?
私はこれまで、映画に出てくるフランスの路地裏の光景はスタジオの中のセットかと思っていた。でも、ここに来てそれは間違いであることがわかった。フランスでも新興都市ならいざ知らず、昔からある町ならこんな路地はどこにでもあるのではないだろうか?そして、この路地裏の石畳の上に、家々の壁に歴史が何重にも重なっている。誰がこの石畳の上を歩いたのだろうか?誰がこの壁にもたれていたのであろうか?そう考えただけで、歴史をさかのぼれるような気がする。
日陰の路地は美しいが、寒くてさびしい。そんなところに立っている古アパートのような建物の前に、フランスパンを何本か抱えた男が一人歩いてやってきた。彼はそのパンを道すがら指でちぎりながら少しづつ頬張っていた。そして、そのアパートのドアの中に消えた。残念ながら今回はそんな所に住んでいる人に話を聞くチャンスに恵まれなかったが、こんなところの住み心地について聞いてみたかった。時間が止まってしまったような錯覚に陥る。これがプロヴァンスでは普通の光景である。きっと、プロヴァンスだけではなく、ヨーロッパのどこに行ってもこんな光景があり、簡単に200年前にタイム・スリップできるのではないだろうか。そして、Office de Tourisme(観光協会)は田舎町でも、大きな町でも、大体その中心部に必ずある。勿論、その規模は町の大きさに左右されるが、Office de Tourismの建物で共通しているのは、大体が昔からの建物を利用していることである。建物の内部は近代的にリフォームされているが、外観はかつてのまま。フランス人が彼らの文化や伝統を大切にしていることが良くわかる。このことは個人の住宅や一般住宅についても同じことが言える。このあたりでもたくさんの新築の住宅が建てられているのをみたが、その住宅も外観は伝統的なプロヴァンス風である。建物の内部はきっとモダンなインテリアだと推測できる。そんなモダンなインテリアの中に混じって、必ずといっていいほど、アンティークの家具などが並んでいる。そして、多くのフランス人はアンティークの家具などが、周りのモダンなインテリアに不思議なくらい良く調和することをよく知っている。アメリカでも、イギリスでも、ドイツでも、フランスでも、ヨーロッパのその他の国々でも、行って驚くのは、建物全般に言えることだが、特に一般住宅が周囲の伝統的な建物に合わせてたられていることが非常に多いことだ。特にここプロヴァンスではそれがよくわかる。住宅内はモダンに内装されていても、外装は伝統様式を堅く守っている。だから、町も村もきれいに見えるし、国民にも自分たちの文化や習慣を守ろうという心が養われる。日本では、ほんのわずかの地域を除いて、建物は形状も外装も勝手に建て放題、好きなことやり放題で、伝統や文化に無頓着な住宅を建てることができる。その原因は国民の手本となるべき公共の都市計画がむちゃくちゃだから、そこに建てられる住宅もむちゃくちゃになるのである。いろいろな環境運動が日本でも行われているが、伝統や文化を重んじる住宅建設・都市計画運動も盛んに行われるべきだと思う。しかし、もうすでにここまで自分勝手な建物が自分勝手に建てられてしまったわが国で、いまさら何ができるのだろうか?しかし、日本人の建物に対するこのような無頓着さはどこから来るのだろう。そんな日本人に欧米人の住宅感を期待することは全くできないし、たとえ、少し芽生えてきたとしても、その芽が大きくなり、葉が出て、花が咲くことはないだろう。だから、せめても昔からある街並だけでも保存し、めったやたらの住宅等の建設計画を厳しく規制し、国や地方公共団体が十分に援助して、文化と伝統を重視した建物を建てるようにしてほしいと思うのだが。こう思うのは私一人だけであろうか?

 

15.アンティーク屋のアンティーク家
その日は午後2時半にPernes les Fontainesで、ムッシュー・レナルドと待ち合わせ、彼の自宅に行く予定になっていた。約束通り午後2時半に彼は待ち合わせ場所のPernes les Fontainesの観光協会の前に黄色い車で現れた。日本では見かけない(探せばあるのだろうが)アンティーク屋にふさわしいレモン色のCITROENの古いMehari(メアリ)であった。車を降りてBonjour!と挨拶をするべきところを、いきなり『あなたは何というすごい車を持っているんだ!』と言ってしまった。レモン色のボディに触ってみる。たたくとポコポコと、軽い音がする。驚いたことにプラスティックである。
幌は黒のビニール。そして、プラスティックのボンネットは皮のベルト2本で留めてある。25年前の車で、10年ほど前に友達から買ったそうである。

私のお店をよく手伝ってくれるマコトさんがこの車を見たらなんと言うだろう。
テキスト ボックス:  アンティーク屋にふさわしいCITROENの古いメアリ(Mehari)。ボディもプラスティック。ボンネットは皮のベルト2本で留めてある。そんなわけで挨拶もそこそこに、彼は『私の後を付いてきてくれ』という。Pernes les Fontainesを出て、Carpentra方向に向かう。Carpentra市内に入る直前のラウンド・アバウト(循環式交差点)から右の脇道に入った。さあ、彼はどんな家に住んでいるのだろうか?興味津々。だが、ちょっと不安でもある。というのも、日曜日のL’isle sur la Sorgueのマーケットで知り合ったディーラーのおばちゃんに『私はあなたのいるPernes les Fontainesでアンティーク・ショップもやっているから時間のあるときにでものぞいて』といわれて、喜び勇んで彼女の自宅ショップを訪問した。入り口の門柱のそばには、グレーに塗装された50年代の乗用車(車種は忘れた)が止めてあり、『おっ、これは楽しみ!』と敷地内に通って、店舗らしき建物に入った。『えっ、これでもアンティーク・ショップ?????なあんだ!ガラクタを集めただけじゃない!!!!リサイクル・ショップの方がまだましじゃない!』と早々に逃げ出したことがあるからだ。


道の左右にブドウ畑がきれいに続いている。最後に右折すると、今度は未舗装の草ぼうぼうのガタガタ道に入った。車の床下で雑草と車体がかすかにこすれる音がする。そして、門柱を通り過ぎ、ある農家の一軒家の前で止まった。これが彼の家だった。何という素晴しいところに住んでいるのか!!もう開いた口がふさがらなかった。素晴らしい!きれい!という言葉だけが出てくる。でも、とうてい言葉だけでは言い表せない。


彼は敷地を案内してくれたが、広さは聞き忘れた。とにかく広かった。この土地を買った10年前は家の周りは一面ブドウ畑だったとのことである。今でも周囲はほとんどブドウ畑だが。遠くに、山頂に雪をいただいたMont Ventoux注21)が見えている。早春の庭には、荒れた芝生と枯れ果てた樹木に草木だけであったが、ただアーモンドの花だけが8分咲きで春が間近であることを思わせていた。

建物で一番最初に目についたのは、家にくっついて建てられたサンルームであった。屋根は瓦葺きであるが、三方はガラス。といっても、ただの透明のガラスを使ってあるだけではなく、上と下にはアンティークと思われる緑と青の模様のあるガラスがはめ込まれている。窓枠はプロヴァンスではよく見られる灰緑色。すべてムッシューが工事をしたという。このサンルームの内部を見せてくれたとき彼は『全く掃除もしていないので、汚くてごめん』と何度もあやまっていたが、またその汚さが不思議にもこのサンルームによく合っていた。サンルームの腰板に当たる部分は単なる壁ではなく、石を積んでセメントで固めたプランター/花壇になっている。非常におもしろいアイデアである。テキスト ボックス:    アンティーク屋にふさわしいムッシュー・レナルドの家。築150年位の家を彼が自分でリフォームした。

サンルームを出て庭に回る。玄関の前のポーチは、今は葉もなくさびしく見えるが、夏になるとブドウの葉が茂るトンネルになり、熱い夏は葉の下でほっとできるそうだ。庭にはレーキやシャベル、白いベンチ、バーベキューの煙突が無造作に置かれている。大きなポプラの木の下を通り、裏庭にゆく。裏庭というより裏の広場の方がふさわしい。ムッシューは、ここで息子とサッカーをここでするんだ、といっていた。おまけに、ゴールも2基あちらと、こちらに立っていた。


さて、家の中に入ると、リヴィングの要所、要所にアンティーク・ディーラーらしく、取って置きのアンティークが置いてある。椅子、ソファ、テーブル、電気スタンド、ホウロウのキャニスターやコーヒーポット等等。セメントの床はサーモン・ピンクに塗装されている。カーテンもこの床の色に合わせている。

ムッシューの仕事部屋、といってもリヴィングと壁やカーテンで分けられているわけではなく、ただ一段低くなっているだけ。奥さんの机と息子さんの机も一緒においてあり、ここに家族三人座ってよく話をするそうである。その仕事部屋の床にはムッシューが集めてきたホウロウのバケツ、水差し、キャニスターが無造作に並べられていた。キッチンも低い段を二段上るだけ。掛かっているカーテンを引けば、キッチンはリヴィングと簡単に分けることができる。天井が低いので、長身のムッシューは少し前に頭を下げなければならない。このキッチンにはBB社のホウロウのローズバンドのシリーズが勢揃い。それでもムッシューはまだまだ足りない、と言っていた。このシリーズのヤカンがまだ欲しいそうである。彼はホウロウ製品を実際にキッチンで使用して、他のアンティークと一緒に生活し、楽しんでいる。

 

テキスト ボックス:    アンティーク屋にふさわしいムッシューHの家のキッチン。天井は長身の彼にはかなり低い。

 

 

注20)標高1909m。「プロヴァンスの巨人」という異名を持つ。ventフランス語で「風」を意味し、その名の通りに山頂部は風が強く、ミストラルの季節ともなると45m/sを越す突風が吹き荒れ、山頂へ至る道路が閉鎖されることも間々ある。
この山はアルプスにもピレネーにも属さず、リュベロン山地の西方に立つ独立峰である。ちょうど西側山麓の丘陵地帯にはダンテル・ド・モンミライユがある。山頂部は木立どころか潅木すらなく、むき出しの石灰岩が転がる荒涼とした景観が広がる。これは数世紀前から造船のために木が切り出されてきた結果である。この不毛のピークは、遠方から望むと一年中雪を抱いているかのように錯覚させる。ローヌ渓谷を睥睨する孤立した姿はこの地域一帯を威圧し、晴天時には何マイルも彼方から観望を可能にする。山頂からの眺望は期待違わず素晴らしい。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 

 

 

 

16.最後の日々
テキスト ボックス:    Roque s Pernes − 誰が住んでいるのだろう?   van Goghの絵にも出てくるようなプロヴァンスの糸杉並木。  私の旅もそろそろ終わりに近くなってきた。今日は金曜日。特に何にも予定がないので、午後は先週行って感激したFontaine de Vaucluseをもっと知りたいと、もう一度行ってみた。今日はL’isle sur la Sorgueを回らず、Pernes les Fontainesの裏山(Plateau de Vaucluseの西の端)を上ってFontaine de Vaucluseに向かった。途中、道が少し山道になるとプラトーというだけに、山という感じではなく、高原の雰囲気になった。春になって草花が咲く頃のことを思うと、ここを去りがたい気分になる。このあたりではアーモンドの花が、日本で言う、梅の花に当たるものであろうか。まだ他の木のつぼみは固そうに閉じているのに、このアーモンドの花だけが春を待ち切れずに咲いている。遠くにはムッシューの家の庭からも見えていたMont Ventouxが山麓から山頂まで見える。山頂付近はまだ雪化粧をしている。La Roque sur Pernesという小さな村を通ったが、その村で一番はじめに目に入ったのが,van Goghの絵にも出てくるようなプロヴァンスの糸杉並木。その糸杉の並木道(200mくらいはあるだろうか?)が敷地の奥まで続く。この敷地内にあるはずの屋敷自体は全く見えない。入口の左右にある高い門柱にも、門柱の両脇にきれいに積まれた石垣にも、表札はおろか、なんの文字も見えない。ただ、左右の門柱の間には進入禁止の文字の代わりに太めの鎖がかかっている。『どんな人がここには住んでいるのだろうか?』と私は考えた。先祖代々ここに住む旧家の人なのか、それともパリの成金なのか、それともプロヴァンスにあこがれた外国人なのか?車を少し走らせて、その敷地の全景が見渡せるところにきた。敷地の奥まったところに、巨大な屋敷がはっきりと見えていた。車道は明るい林の中の坂道を走る。左は山側で切り立った崖、右側は谷側で運転をちょっと誤ると下まで転げ落ちるような崖。ただし、舗装状態は新しいのか、非常によい。
少し先にいくと、徒歩の母親と小学生くらいの男の子と幼稚園くらいの女の子を追い越した。男の子は紺の長いケープを着て、手にステッキを持っている。年寄りの羊飼いの男のようないでたちである。
『どこまで行くのだろうか?』と私が言うと、運転がうまいスミレちゃんは『下の町にでも行くのかなあ?乗せていってあげようか』と言う。なかなか決めかねたが、Uターンをして坂道を戻ると、もう三人の姿はなかった。少し上の方を見るとさっきの三人が上の道を私たちの方を見ながら歩いている。きっと、戻ってきた私たちの車を見て、怪訝に思ったであろう。
しばらく行くと、Saumaneという崖っぷちにできている村の入り口にきたが、帰り道に寄ることにして先に進む。しばらく行くと、L’isle sur la Sorgueから上ってくる道に突き当たった。そこを左に折れ、Fontaine de Vaucluseにむかう。この村の入り口で、ローマ人の作ったような水道橋の下をくぐった。その橋の上にはCanal de Carpentras という運河が流れている。その運河の下に私たちが今通ってきた車道とSorgue川が通っている。この橋の高さは20mくらいあるのだろうか?地震が全くないところだからこんな華奢な形をした、きれいな建造物があるのだろう。このあたりのどこへ行っても、日本ならとうの昔に壊れていそうな建物や建築許可が全く下りないような建物がたくさんある。
Fontaine de Vaucluseの町に入ると、駐車場には、まだ夏休みには程遠いのに、大型キャンピングカーがかなり止まっていて、車の前で隣同士でパーティーを開いているものも中にはいた。夏になったらここは、フランス人はもちろんのこと、ドイツ人、オランダ人をはじめヨーロッパ各国からのキャンピングカーでさぞごったがえすであろう。Sorgue川に沿って歩いて行くと、ここの観光協会があったので、そこに入ってパンフレットをもらう。どこの観光協会に行っても、たくさんのチラシやパンフレットがあり、それも、かなり立派なものが多い。
ところで、フランスは2月下旬から3上旬にかけて冬休みになるようで、学校が休みの若者がこの急流を利用してカヌーの練習をしていた。また、この観光地にも子供連れの老人(両親は仕事で休めないのだろう。つまり孫連れ)が多かった。どこの国でもあまり変わらないが、ここでまた、おばあちゃんおじいちゃんの孫との付き合い方に違いを感じた。このカヌーの練習を、子供たちが川に身を乗り出すようにして見ている。しかし、おばあちゃんもおじいちゃんも孫にあまりうるさくないのである。指図が少ないように思えた。少し遠くから離れて孫たちを見守っているようだ。あれは危ない、これはしちゃだめだ、とか、ゴチャゴチャ言って、子供にプレッシャーを掛けることはあまりしないのが、こちらのやり方ではないのかと思った。